近江屋敷跡

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■所在地長瀬町5-41
■登録ID449

 桃山時代末期の刀匠である肥前忠吉は、龍造寺隆信の家臣橋本道弘の子として生まれ、その系譜は江戸時代に入り幕末に至るまで、いずれも名工の名を残し、数多くの名刀を世に出したことで知られている。
 初代武蔵大掾(だいじょう)忠吉のほか、2代近江大掾藤原忠広、3代陸奥守忠吉、8代忠吉等が特に著名である。
 忠吉一門は、長瀬町5−41(現在橋本正敏氏宅一帯であり、橋本家は忠吉の子孫である)に屋敷を構えていたが、そのあたり3カ所に石碑が立てられて屋敷跡が表示されている。
 近江屋敷の名は2代近江大掾忠広の名からくるものであろう。初代忠吉の墓碑は伊勢町の真覚寺にあり、その他一門の墓碑は八戸1丁目の長安寺にある。

出典:日新読本(P.214)

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