西肥銀行

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■所在地佐賀市松原4丁目
■年代近代
■登録ID476

 馬責馬場の凌皮膚科東側角に現在福島薬局があるが、昔の西肥銀行の面影はなく写真のように『明治橋』が昔日の銀行を偲ぶのみである。
 また、すぐ北則の『明治橋』は、明治37年10月佐賀馬鉄がここを起点として諸富まで、はじめて走ったところで、また、ここから近くの南には、佐賀米穀取引所もあって大変賑わっていた。西肥銀行は、米麦取引業者を中心に融資していた米穀金融会社の一つであって、大正5年9月、久保田の大地主森山定太郎と、その親戚関係にあった神埼郡三田川町の地主、橋本栄治が中心になって、久保田町徳万に資本金50万円で本店を設立し開業した。大正5年11月三田川出張所を、大正6年1月神埼支店を、さらに大正7年7月水ケ江佐賀支店を開設し、創業以来順調な推移をたどったが、9年になって橋本栄治が事業に失敗したので銀行経営は、完全に森山一族に移った。そして大正12年6月には、本拠地を県庁所在地の佐賀市に移すため、佐賀支店を本店に変更した。大正9年の恐慌、関東大震災と続く全国的な不況で、大正15年には古賀・神埼実業両銀行の取付け、休業という厳しい状況の中で、住友銀行に経営権の委譲を打診、両銀行間に了解が成立し、住友銀行から新役員を迎える段階になったが、当時の佐賀県知事が買収に強く反対したため、支配人の派遣を受け入れるにとどまった。その後約9ケ月の冷却期間をおいて、常務取締役を迎えたが、昭和3年4月には住友銀行の内地連携銀行の佐賀百六銀行と合併し、これに住友銀行が経営参加する形となった。

出典:ふるさと循誘(P.98)

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