佐賀市塵芥焼却炉 | さがの歴史・文化お宝帳

佐賀市塵芥焼却炉

所在地 佐賀市田代
登録ID 484

出典資料から記載

 佐賀市は塵芥を処理できる量が少なく、一部を土地埋め立てに利用していたが、大変非衛生的であったので、昭和11年3月市議会に建設予算が提案された。審議する中で、延期説が出るなどしたので、調査委員会を設け半年にわたる研究を進め、昭和13年8月焼却炉を建設することになった。焼却炉は、岩本式にして4火床8炉として、昭和13年9月17日、火入れ式を行った。昭和28年にこの施設を改造拡大する計画であったが付近住民の反対で実現できなかった。然し、これまでの焼却炉が次第に老朽化し、十分能力を発揮できなかったので、昭和34年に焼却炉の内部大改造を行い、これまで一日処理能力約20tを30tに引き上げた。その後、高度経済成長とともに生活水準が向上し、家庭から排出するゴミの量も年々増大し、併せて産業廃棄物もまた増加していった。この間、昭和28年には、循誘小学校、兵庫小学校の敷地の埋め立てを行い循誘小学校の敷地1,600㎡は、昭和31年埋め立てによって造成された。また、牛島天満宮裏の低地も埋め立てられた。この他昭和46年には、高木瀬町の市有池沼(蓮堀)を埋め立てて城北中学校グラウンド、佐賀県陸運事務所用地等を造成その他毎年、高木瀬、金立、久保泉、兵庫等の埋め立て可能な場所は、次々に埋め立てが行われた。佐賀市では、『1日8時間で60t、24時間操業で180t焼却することができる江口式連続燃焼型ゴミ焼却炉』の近代的ゴミ焼却場を建設するため、佐賀市高木瀬町に用地を買収し、昭和41年3月に愈々近代的ゴミ焼却場建設に着手し、昭和43年3月に総工事費約16億円をもって工事が竣工した。当初は順調に行ったが、いろいろな原因でゴミ焼却施設の稼働が十分でなかったので、『都市ゴミ破砕固形処理施設の設置や、この施設に連動する『ゴミ高速堆肥化施設(コンポストプラント)』の購入などに苦心した。現在は、嘉瀬町に埋立地を確保し、かつ、焼却施設を54年度から川崎反転ストーカ式ゴミ焼却施設の建設が進められ、55年度に完成し、今日まで運転されている。昭和41年3月に、高木瀬町にゴミ焼却場が新築し移転されたので、田代南のゴミ焼却場は、歴史の幕を閉じることになり、今日、地域の公園として整備されている。
出典:ふるさと循誘(P.135)

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