神野のお茶屋

神野のお茶屋

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■所在地神園四丁目 神野公園内
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日昭和42年2月11日
■登録ID5135

佐賀藩10代藩主、鍋島直正(閑叟)が弘化3年(1846)に佐賀城下北西のはずれ、多布施川沿いの神野に築いた別荘である。別荘は木造平屋の寄棟造り藁葺1棟と木造平屋建の四方廻屋根、藁葺(わらぶき)1棟の2棟からなり、この2棟を瓦葺の廊下で継いでいる。
寄棟造りは桟瓦葺の庇(ひさし)をつけ、南と西は1間幅の縁がめぐる。主室は4間半に2間半の畳の間で床の間がつき、この主室の北側に4間に1間の畳の副室がついている。
四方廻屋根は、4棟を方形に結合した形で方形に畳の間が廻り、その中央は庭園となっている特殊な構造である。東棟の北隅に千鳥破風本瓦葺の玄関が付いている。
2棟ともに床下は吹放しで、本柱は、すべて1面又は2面が矧(は)ぎ付けとなっている。庭園は、天山を背景にして多布施川の清流をひいて、池、小山を造り、石と樹木を配したもので、別邸の建造物とよく調和し、江戸時代後期の県内では代表的庭園である。
藩主の休息の場としては粗末すぎると感ずるほどの質素なものであるが、構築は藩をあげての総意で樹木や庭石などは、藩士たちが持ち寄ったものである。この別荘は大正12年(1923)に鍋島家から佐賀市に寄附され、神野公園と名を改めて、市民の憩いの場として親しまれている。