本庄神社石燈籠 一対

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本庄神社石燈籠 一対

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■所在地佐賀市本庄町大字本庄 本庄神社
■文化財指定状況佐賀市 重要文化財
■文化財指定日昭和50年2月11日
■登録ID5160

本庄神社の広庭、拝殿前の左右に建てられている1対の石造の燈籠であって、総高2.58センチメートルである。宝珠、笠、火袋、中台、竿、基礎の6部分からなる標準形の石燈籠である。
宝珠の部分は、宝珠と請花からなり、請花は複弁の蓮華で、宝珠の先端には小形の球形が取りつけられているのが異色である。屋根は緩やかなふくらみを持つ「起り」の形式で、軒先は6面となり、蕨手が取りつけられている。
火袋は、1層で断面は6角、方形の小形の通風窓が設けられている。中台は、単層の蓮台で、大花と小花の単弁蓮華文が刻まれている。
竿は円柱で、上下にそれぞれ1本、中央に2本の節が設けられている。基礎は反花と6角方柱の2層からなり、反花は複弁で、間に小花がいれられている。
竿石に次のように造立銘が陰刻されている。
願患悉除願望吉祥
謹奉寄附石燈籠壱基
〇〇〇〇鍋島加賀守藤原朝臣直茂
願主鍋島和泉守藤原朝臣忠茂
本荘淀姫大明神御賓前〇〇〇所願
干時元和四年戊午仲春吉〇良月
佐賀藩祖鍋島直茂や初代勝茂が鳥居などを神社に寄進している遺例はいくつか知られていて、藩政初期における大名の神社に対する政策や神社信仰の一面をしのばせているが、この石燈籠もまたその一例として歴史的価値が高い。特に鹿島支藩初代藩主である鍋島忠茂が願主となり、藩祖の直茂と名を連ねている点にも興味深い。
忠茂が鹿島支藩主となったのが慶長15年(1610)で、慶長19年の大坂陣に際して東上しているが既に病患に苦しみ、元和7年(1621)には下総の矢作に入り、寛永元年(1624)にはこの地で没している。この間の元和4年(1618)に奉納されているこの石燈籠には、深い意味が秘められているようにも考えられる。
この石燈籠は、本県内においてはもっとも古い造立銘を有するものであり、しかも簡素にして豪壮、よく完構を保っていて、石造り工芸品としての価値が高い。