実相院彫刻 十二躯 | さがの歴史・文化お宝帳

実相院彫刻 十二躯

所在地 佐賀市大和町大字川上 実相院
文化財指定状況 佐賀市 重要文化財
文化財指定日 平成9年5月23日
登録ID 5192

指定文化財

河上山神通密寺実相院は真言宗御室派の寺院で寛治3年(1089)与止日女神社の社僧円尋(えんじん)が神宮寺を建立したのが神通密寺の始まリで与止日女神社の座主(寺社の法務を統括する管主の公称)を勤めた。
 仏像は不動明王立像、愛染明王坐像、山王坐像、女神坐像、十一面観音立像、弘法大師坐像、五大明王像、薬師如来坐像で、五大明王像が5軀でほかは1軀、計12軀の木造仏像である。
 不動明王立像は、像高96.3センチメートルでヒノキ材の一木造り、憤怒像であるが、おだやかな彫りは平安時代後半の特徴を表している。平安時代の不動明王像は県内でも数少なく貴重である。愛染明王坐像は像高67.8センチメートルでヒノキ材の寄木造り、室町時代の制作と推定される。山王坐像は像高31.8センチメートルでクス材の一木造りである。像底の墨書銘により、佐賀市北川副町の真言宗福満寺鎮護社として同町木原にある日枝神社の御神体として、元亀3年(1572)に龍造寺隆信母が旦那となり南里村(佐賀市川副町南里)の元貞房上人覚以に造らせた像とわかる。少弐元盛の家臣で出家した福満寺朝覚上人が、元亀元年の今山の戦いで消失した実相院のお経会の導師として勤めていた折に当寺へ遷宮したと伝えられる。制作年代・作者、造立の由来が判明する貴重な作例である。女神坐像は像高25.9 センチメートルでヒノキ材の一木造りで、与止日女神社の祭神与止日女の像と伝えられ、神社の信仰の歴史を知る上で貴重な資料である。十一面観音立像は像高158.2 センチメートルでクス材の一木造りで、背板の墨書から河上神杜の本地仏と判る像である。与止日女神社の本地仏は十一面観音で、河上神杜文書によると鎌倉時代の承元2年(1207)に金銅製十一面観音像が造られている。この像は後に失われたようで室町時代に再興されたようである。一見すると平安後期の作を思わせる復古調に造られている。近年の修復で天正21年(文禄2年・1593)に仏師心月斉が制作した事が判明した。弘法大師坐像は像高48.8センチメートルでヒノキ材の.寄木造りである。胎内および台座墨書銘から高野山住生院如来堂相応院を施主として定朝三十代を名乗る高野山小田原町の長谷川大仏師廣安が宝暦9年(1759)、63歳の時に制作した像で、同じ作者(または工房)が制作した弘法大師像の237躰目にあたり、明治12年(1879)に実相院52世良瑞の代に高野山より御請待したことが判る像である。江戸時代の本格的な仏師の作で、造られた由来から実相院へ持ち込まれた時期もはっきりしている興昧深い像である。五大明王像5躯は、像高33.5~49.0センチメートルの寄木造りの像である。5躯とも小像であるが、わりあい技法のたしかな仏師の手になるものと思われる。薬師如来坐像は像高101.3 センチメートルの寄木造りの像で江戸時代の作で、各所に平安、鎌倉時代の仏像の特徴をとりいれておリ、古仏をよく学んでいる本格的な仏師の手になるものである。

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