高城寺文書 一〇〇通

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高城寺文書 一〇〇通

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■所在地佐賀市城内一丁目 佐賀県立博物館(高城寺)
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日昭和61年3月19日
■登録ID5306

高城寺文書は、佐賀平野の北端、脊振山地の南麓にある臨済宗東福寺派高城寺に伝来したもので、鎌倉期から江戸期にかけた総数100通からなる。
最も年代の古い文治2年(1186)の源頼朝下文案(くだしぶみあん)は在地の武士高木宗家を土地の地頭に任命したものである。以後、鎌倉期、南北朝期、室町期にわたり肥前の歴史上に活動する著名な人物の多くは当寺と関わりをもち、保護を与えている。征西将軍宮懐良(かねなが)親王令旨(りょうじ)によれば、正平年間に当寺が兵火で焼失したこともわかる。
また、中世の佐賀平野南部の干拓の進展の模様を窺うことができる一連の文書がある。正応元年(1288)肥前守護北条為時は当寺に河副荘(かわぞえのしょう)の米津土居(よのつどい)などを寄進している。鎌倉後期の海岸線が現在の米納津付近で且つ、このあたりが単なる干潟ではなく、生産を期待できる地であり、人工的に土居を築き、耕地化が計られていることなどがわかり、中世の佐賀平野における干拓進展の推移を知る上で貴重な文書である。