肥前国庁跡

肥前国庁跡

  • 肥前国庁跡
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■所在地佐賀市大和町大字久池井 佐賀市
■文化財指定状況国 史跡
■文化財指定日平成元年9月22日
■登録ID5355

肥前国庁跡は佐賀市大和町の中心を流れる嘉瀬川左岸の、標高14メートルの自然堤防上に立地する。肥前国庁跡周辺には、国府関連施設と考えられる多数の掘立柱建物群が分布している。正倉群と考えられる建物群(惣座遺跡)や国司の館と想定される建物群(久池井B遺跡)、長大な基壇建物3棟で構成された官衙関連の建物群(久池井六本杉遺跡)が周辺に所在する。また嘉瀬川右岸にも官衙関連の建物群(東山田一本杉遺跡)と郷家関連と思われる建物群(大願寺二本松遺跡)が所在している。この他にも奈良~平安時代の官衙関連遺跡および集落遺跡として左岸では、小川遺跡・北畑遺跡等、右岸では大願寺一本松遺跡・於保三本松遺跡等があげられる。さらに肥前国府と関連する史跡および社寺として大願寺廃寺・肥前国分寺・肥前国分尼寺・印鑰神社・与止日女神社・甘南備神社等があげられる。
肥前国庁跡は、奈良時代後半から平安時代前期(約1250年~1050年前頃)にかけて、古代肥前国の中心となった役所跡で南北約105メートル、東西約77メートルの平面長方形に巡る溝跡と、その内側の築地によって囲まれた空間に、前殿・正殿・後殿が南北中軸線上にならび、前殿の東西両側に各2棟の脇殿を配置している。また正殿の東西には回廊が取りつき、郭内を南北に二分し、南門は築地を内に曲げて八脚門を設けている。
また、政庁域周辺にも国庁の政務を分担した役所にあたる多くの曹司(そうじ)や税を収めた正倉(しょうそう)群が存在した。
肥前国庁の構造は、大宰府政庁との類似性が指摘されているが、行政組織だけではなく、国庁の造営に関しても大宰府のつよい影響がうかがわれる。
出土した遺物は土師器・瓦片・墨書土器等であるが、8世紀後半代と思われる軒丸瓦から肥前国独自の変容が観察され平安時代(9世紀以降)には独自の鬼瓦と瓦文様がつくられる。
国庁の内部が明らかになっている遺跡は、これまでに全国でも数カ所しかなく、きわめて貴重な遺跡である。