惣よん橋 

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  • 惣よん橋 
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■所在地佐賀市兵庫町若宮
■年代中世
■登録ID595

この橋は若宮にある。龍造寺時代ここに居住していた豪傑西村惣衛門(左衛門)が架けた橋と伝えられる。
神代家記により西村惣衛門の勇猛ぶりをみると、次の通りである。永禄4年(1561)9月、龍造寺隆信は神代勝利のもとに使をやり、こんどは川上あたりで出会い、直々に槍を合せて一度に決着をつけようではないかと申し込んだ。勝利もこれに応じ、13日を期して決戦することになった。
隆信は1万余騎を従え、勝利は7千余騎を率いて熊川城を出て川上川をはさんで都渡城方面に勝利の二男周利、八戸下野などが出陣し、龍造寺方よりは隆信の弟、左馬頭周光、小川大炊助が対陣した。
淀姫神社辺には神代勝利、その子惟利が控え、龍造寺方も隆信自ら納富信景、福地信重などを率いて出陣した。戦いは川東より始まり激戦数刻の後、神代周利は戦死し、八戸下野などは重傷を負うて敗走した。
川西の神代勢もこれを見て勢をそがれて遂に退却を始め、追われた勝利は八反原で捕えられる寸前、辛じて虎口を脱した。神代方は大敗したが、この戦で神代方の陣中にあって勇名をとどろかしたのが、西村惣衛門である。
彼は川上川の西岸の一段高い所にあって攻め寄せる敵を弓矢で射かけ、射すくめ防戦したが矢種が尽きたので、大刀を振りかざし龍造寺軍に斬り込み散々暴れまわった。敵十数人を討ち取ったが、その身も深手を負い付近の民家に身をひそめ、ようやく死を免れて居村若宮にたどりついた。

出典:兵庫町史p231

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