曹洞宗 本尊 観世音菩薩
由緒 鍋島直茂に祈祷を申し付けられた国分寺住職勢岩和尚は、毎月佐賀城を訪れたが、遠路のことで藤木村に中宿して休息するのが常であった。
この勢岩和尚が、天正6年(1578)遷化されると、「自分の命代りになった」といって直茂はたいへん感激し、関平兵衛、勝屋勘右衛門の両人に命じ、藤木村に寿徳寺を建立させ、勢岩和尚の弟子在室和尚を開山とした。本堂庫裡とも明治26年(1893)の大暴風で倒壊したが、大正7年(1918)、先住17世原口啓一師によって再建された。
出典:兵庫町史p203