秋山虎六 海軍少将、戦没者鎮魂碑文揮毫

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秋山虎六 海軍少将、戦没者鎮魂碑文揮毫

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■所在地佐賀市巨勢町
■登録ID670

秋山虎六海軍少将は巨勢町東分上の出身で、父勘助と母コマの末子として生まれた。幼年の頃から両親の厳しいしつけのもとに教育された。勉強好きで、特に読書に余念がなく、多人数で騒がしい自分の家を抜け出して近所の空家で学習に励む熱心さであったという。
佐賀中学時代は常に成績優秀であり、近所の子ども達を集めて学習指導に当る努力家であった。佐賀中学より海軍兵学校に進み、心身共にたくましい青年に成長し、特に第1次世界大戦では、陸戦隊長として軍艦の大砲を引き揚げて指揮し、ドイツの租借地である青島で攻戦して活躍したことは有名である。やがて海軍少将となり、墓参帰郷の彼の威容は素晴らしく、故郷の人々を圧巻した。また、巨勢小学校を訪問しては、児童たちに常に勉学の尊さと規律ある人間性を訓示として強調され、当時の校長山田秀作氏と懇談されている姿を一目見ようと児童達が職員室に押しかける有様であったという。帰郷の折は必ず佐賀弁で土地の人々を親身に励まされ、彼の故郷に対する畏敬の念は賞讃された。巨勢神社の戦没者鎮魂碑の書は、彼の筆になっている。

出典:巨勢P.19