巨勢大明神のお告げ

巨勢大明神のお告げ

■所在地佐賀市巨勢町
■登録ID675

永禄9年、豊後国の大友入道宗麟が大軍を起こし、佐賀に攻め寄せた。元亀元年再び大軍を進め、その勇壮な進撃には佐嘉城はちょうど風前の燈のようであった。この戦いに鍋島信生公は命をかけられ長刀を揮い、巨勢大明神を拝し祈願をこめられると不思議にも快勝した。
その日、すなわち4月22日巨勢の宮に野営されたが、その事がただちに敵方に知れ、敵は夜討ちを企てようと忍びを入れた。ところが敵の眼には巨勢大明神のお加護で「佐嘉城より高尾口まで松明幾千万本とも知れず、その間を城兵はぐんぐんと繰り出している」のが見えたので夜討ちをついに中止した。実は佐嘉城からは一人の援兵もなく、また屯兵は昼の疲れで宵には厳重な用心にもかかわらず、みな具足を枕に寝てしまっていたらしい。
ついで、8月18日夜深更龍造寺隆信公が巨勢大明神の前を通過されると「敵は北山にあり、夜討ちして利あるべし」と、お告げがあった。その通りにしたら敵の総大将八郎親貞は討たれ、さしもの強敵旭日昇天の豊後勢も完全に潰滅してしまった。巨勢大明神のご利生に人みな驚くばかりであった(『肥陽古跡記』『神社調』巻末記載)。

出典:巨勢P.28