寺家の起源

寺家の起源

■所在地佐賀市本庄町
■登録ID714

第54代仁明天皇(834〜)の御孫常康親王の御子空也上人は九品念佛宗の宗祖である。村上天皇の天暦5年(951)京都平安城内は熱病に襲われて多数の死者が出た。これを見て、空也上人は十一面観音を自作して、茶を煎じてこれを観音さんに供え、患者に与えたら病気は悉く癒えた。これに感激していた平貞盛は、空也上人の弟子となり修行した。貞盛の子孫中尾甚左衛門は一族9名を伴い龍造寺2代の祖藤原季喜公が九州下向の際随行し、佐賀に来て、末次村に居住す。また季喜公は中尾一門の為にここに光明寺を建立し、空也上人自作の十一面観音を本尊として、六波羅蜜寺の末寺と定められる。(光明寺跡は緑ヶ丘の東側。)これが佐賀における同宗の始りという。(寺号を畳山光明寺と言う。)
これより寺家と地名を言う。寺家一門は和讃念仏を怠らず、ことに由緒ある茶筅の製作分配をなした。また龍造寺家、鍋島家に仕えて功績があった。

出典:かたりべの里本荘東分P.28本荘の歴史P.111