高傳寺家永恭種の墓

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高傳寺家永恭種の墓

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■所在地佐賀市本庄町大字本庄1112-1
■登録ID747

家永は弘化元年(1844)佐賀に生る。通称を範之助、嘯倣と号す。早くから文武両道に達せられて維新の際参謀となって、奥羽戦争に従軍され功労があった。
佐賀県参事、水戸裁判所長などを歴任、明治7年佐賀戦争後大いに地方の衰退を慨嘆し、官を辞して帰国され、松風社、戊寅義学を起して佐賀の民風を振興する事に努力された。殊に佐賀取引所の創立等に力を尽くし、その他色々世の為に貢献された人である。
また、明治22年(1889)佐賀市制施行に伴い、佐賀市会(議会)初代議長に選出される。

出典:かたりべの里本荘西分P.133本荘の歴史P.44

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