龍造寺隆信の母親と慶誾尼

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龍造寺隆信の母親と慶誾尼

■所在地佐賀市本庄町
■年代中世
■登録ID789

慶誾寺は、戦国大名龍造寺隆信の母慶誾尼が開基の寺です。慶長3年(1598)、慶誾尼の願いで東与賀の流長院をこの地に移しました。慶誾尼が、2年後の慶長5年に亡くなると、法名を慶誾妙意大姉とし、ここに葬りました。同時に寺名が般若山慶誾寺となりました。
慶誾尼は、戦国時代九州三大勢力(肥前・龍造寺、薩摩・島津、豊後・大友)に数えられ、肥前、筑前、筑後、肥後、豊前の一部と壱岐、対馬まで傘下にし、五国二島の太守とうたわれた龍造寺隆信の母であります。また、藩祖鍋島直茂の父清房に再婚し、直茂の義母でもあります。豊臣秀吉にも通じ、子隆信や直茂への指南役、相談相手として、戦国時代の女の実力者でした。生前墓である逆修墓は、高傳寺にありますが埋葬されている墓は慶誾寺にあります。墓所の中程に龍造寺隆信の弟で多久家の祖長信と2代多久安順から6代茂明までの墓塔が並んでいます。鍋島藩政では、親類同格の格付けで、領地を治めていました。

出典:ワークショップ中野和彦氏寄稿