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「大和町」「物語・いわれ」「地名・とおり名」は18件登録されています。

  • 於保

     建長7年(1255)、於保三郎宗益という豪族が当町於保に住み、於保並びに鍋島町増田を領し、肥前執行職として権力を持っていた。その子孫は代々於保姓を名乗っている。この姓がそのまま地名となった。於保村を安松村と言っていた時代もある。元亀元年(1570)今山陣の時於保家は亡び、龍造寺隆信によってこの城跡に於保天満宮を移し建てられ今日に至っている。

  • 屋形所

     後鳥羽上皇が当地御通過の折りこの地区へ仮泊された御館のあった所ということから屋形所というとか。「鳥羽院山教信寺由来記」によると、後鳥羽上皇が隠岐に流されるとき、苅田郷の領主西川家房が自分の領地である神埼郡絹巻里に上皇を移し、上皇はその地で延応元年(1339)に崩御されたという。それでこの地を鳥羽院と称した。後世では鳥羽院と書いて「とばえ」といっている。

  • 折敷野

     御鳥羽上皇御通過の節、ここで休憩され、道端のしばを折り敷物にされたので折敷野というようになったという伝説がある。

  • 大願寺

     昔北條時頼が当地へ来て病気したとき、5社に平癒祈願し病気が治ったので大願成就寺と名付けた。それが後に大願寺になったという伝説もあるが、ここには奈良時代、国分寺にも匹敵する大伽藍が建てられ万年山大願寺と称していたので、大願寺という名はこの寺名によると見るのが確かだろう。

  • 今山・横馬場

     男女神社由来記によれば、ここら一円を男女山と言い、今山というのは「今」の字は「二タリノ人」と書く。「二タリ」とは男女の2神を指したものとされた。昔はここに光明寺(廃寺)があり、その塔頭(子院)や末寺が建ち並び、南北に通ずる道路堅馬場、東西に通ずる道路横馬場があった。横馬場はこの道路名がそのまま地名になったという。

  • 山王

     ここには山王社が祀られている。山の神の信仰であって、平安期の始めごろ、比叡山に「大山くい命」を祀ったのが始まりと言われている。山王という地名はこの社名からきたものであろう。

  • 国分・尼寺

     天平のころ、国ごとに国分寺が建てられた。肥前の国では大和町国分に国分憎寺、尼寺に国分尼寺が建てられ、その寺名がこの地名となったものである。

  • 大和町

     昭和28年の町村合併促進法に基づいて、昭和30年4月16日隣接している春日、川上、松梅の3村が合併し大和村として発足した。旧三村大和の精神を基調とした住民の福祉を増進するのがねらいで命名された。昭和34年1月1日町制施行により大和町と改称した。また、平成17年10月1日1市3町1村の合併により佐賀市となった。

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