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「富士町」「人物」「人物」は53件登録されています。

  • 吉浦松義

     明治41年〜平成4年(1908〜1992年)教育家  明治41年旧北山村上無津呂にて出生。昭和4年佐賀県師範学校本科第一部卒業、小城郡砥川小訓導、同郡芦刈小訓導、18年に佐師専攻科卒業、北山小教諭から教頭に昇任。28年南山村立内野小校長、30年北山村立北山東部小校長、31年北山中学校教諭に復職し同校教頭に、35年北山東部小校長、(2回目)に就任、36年北山中学校長を6年間勤務し、42年定年退職した。  44年富士町教育委員...

  • 嘉村哲夫

    明治35年〜昭和43年(1902〜1968年)教育家  明治35年旧北山村麻那古にて出生。佐賀師範学校を卒業後、大正15年東京高等師範学校卒業。同年長崎師範学校に赴任、昭和4年から佐賀成美高女に勤務、更に鹿児島県志布志中学(旧制)、鹿屋高女、志布志高校、伊集院高校の各学校長を歴任し、35年退職する。同年東京私立佼正学園高校に就職し、43年5月逝去するまで同校に勤務する。佼正学園高校勤務中は野球部長として活躍し、...

  • 無津呂留雄

       明治36年~昭和27年(1903~1952年)大学理事  明治36年旧北山村下無津呂にて誕生、日本大学法学部卒業後、同大学事務局に勤務。同大学通信教育部経理監を歴任し、同大学専務理事に昇格、戦災で荒廃した同大学を、学制改革により新制大学としてスタート、戦後の同大学復興に尽力した。旧北山村から多数の子弟が日本大学に学んだのも、氏の努力に負うところ大である。昭和27年6月19日没す。享年49歳。惜しい人がこの世を去...

  • 樋口林三

       明治39年〜昭和61年(1906年〜1986年)大学教授  明治39年旧北山村大野にて出生。九州帝国大学経済学部卒業後、満洲の昭和製鋼所に勤務。昭和20年太平洋戦争終戦後、内地に引揚げ、福岡大学商学部教授に就任し、同大学院教授を経て、53年同大学を退職する。61年病没、享年80歳。

  • 矢俣九洲男

       明治40年〜平成9年(1907〜1997年)教育家  明治40年12月3日旧南山村市川にて出生。大正14年3月県立小城中学校、15年3月佐賀師範学校本科第二部卒業、同年9月北多久尋常高等小学校訓導、21年4月小城町岩松小学校教頭、22年4月南山中学校教頭、23年4月古湯小学校長に昇任、26年4月南山中学校長、27年4月小城町桜岡小学校校長に就任し、同校退職後31年4月南山村・北山村教育委員会の併任教育長に、更に富士町教育長を2期8年...

  • 光野次市

    明治44年〜平成10年(1911〜1998年)教育家  明治44年7月20日旧南山村貝野山下家に生まる(後光野家の養子となる)昭和7年3月鹿児島高等農林学校農芸化学科卒業。仝年4月佐賀県農事試験場助手、同8年農林技手、同13年5月県立佐賀工業学校数諭に任命される。同15年3月西部四八部隊に入隊、太平洋戦争に従軍以来東南アジア方面を転戦、20年3月戦功により勲八等瑞宝章を授与さる。同年8月13日帰還し、直ちに佐賀工業学校に復...

  • 川原惣市

       大正2年〜昭和59年(1913〜1984)教育家  大正2年旧北山村下無津呂にて出生。県立唐津中学校(旧制)を経て、昭和7年8月、台湾総督府台南師範学校演習科卒業。直ちに台湾台中州公立公学校国民学校及び公立青年学校指導員として、20年5月まで勤務し、同年5月、無事故国日本へ帰り、故郷の北山小教諭に就職した。更に北山東部小、再び北山小、北山東部小教頭、古湯小杉山分校主任、北山小教頭等を歴任後、南山中教頭、佐城教...

  • 天本良子

       大正8年~平成9年(1919~1997年)教育家  大正8年旧南山村古湯にて出生、旧姓大塚から母方の養女として久保姓となり、結婚して天本の姓となる。  昭和14年佐賀県師範学校本科卒業、翌15年同校専攻科卒業。同年南山村立古湯小訓導、23年から南山中学校教諭、24年から東京都目黒区駒場小数諭、25年から千代田区立小川小教諭、29年から富士見小教諭、37年天本伍市と結婚天本姓となる。40年千代田区立小川小数頭、44年日本...

  • 大石繁男

    大正10年〜平成6年(1921〜1994年)教育家  大正10年級南山村下熊川にて出生。昭和16年3月佐賀師範学校本科第一部を卒業。小城郡西多久小学校訓導として赴任、同16年12月から20年10月帰還するまで兵役に従事。帰国後、南山村内野小訓導、川上村川上小教諭、松梅村松梅小教諭、同松梅中敷諭、富士町立北山中敷頭を経て、50年北山東部小校長に昇格、富士中校長に転任、56年3月にて定年退職する。57年富士町公民館長に就任、5...

  • 中村冨可男

       大正11年〜昭和38年(1922〜1963年)教育家 大正11年旧北山村上無津呂にて出生。旧制唐津中学卒。小学校教諭となり、古湯小、北山東小、北山小の各学校に勤務。昭和38年1月28日、60年振りの豪雪のため、川頭、山端部落の児童を送り届け帰途遭難殉職す。昭和38年大阪教育塔に合祀、同年正八位勲七等瑞宝章を授与される。先生の功績を讃え、北山小校庭に顕彰碑を建立する。

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