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「富士町」「人物」「人物」は53件登録されています。

  • 深川良知

       明治4年〜昭和26年(1871〜1951年)医師・地方政治家  明治4年8月、旧川上村にて出生。佐賀中学校から、長崎医学専門学校を卒業し、台湾にて明治33年から42年まで公医として医業に従事。南山村から招かれて43年から古湯にて開業する。大正10年南山議会議員となり、その間小城郡議会議員を大正4年から3期12年勤め、昭和21年初代の南山村議会議長に就任する。村政、教育、産業振興等に貢献した。昭和26年10月7日逝去、享年8...

  • 吉浦秀作

    明治22年~昭和16年(1889~1941年)医学者  明治22年11月26日小城郡旧北山村下無津呂にて出生。私立日本医学校卒業(東京)大正2年9月佐賀市水ヶ江町の池田医院院長医学博士池田陽一氏に師事し、産婦人科学を研究、9年から11年まで朝鮮総督府忠清南道立公州慈恵医院勤務、11年から14年まで慶尚南道晋州慈恵医院勤務、大正14年から昭和14年まで、金羅北道立全州慈恵医院勤務。この間、昭和6年から2年間、総督府から朝鮮全...

  • 福島権三郎

    明治22年〜昭和29年(1889〜1954年)歯大講師・歯科医師  明治22年7月20日、旧北山町上無津呂にて出生。旧制唐津中学校を卒業後、上京して、大正9年9月26日、東京歯科医学専門学校を卒業し、学校に残り、講師を3年間務めた後、東京にて歯科医院を開業す。  なお、法律学の勉強に憧れ、中央大学法学部を昭和5年2月卒業し、歯科医学士、中央法学士の学士号を取得す。後年、福岡県前原町に開業、旧制糸島中学校歯科校医、糸...

  • 松永琢磨

    明治23年~昭和32年(1890~1957年)医学者  明治23年2月21日旧北山村下無津呂にて出生。温知小学校(北山小の前身)から旧制佐賀中学校、旧制山口高等学校を経て、明治40年東京帝国大学医学部を卒業。明治44年から大正11年6月まで福島県立病院外科部長として勤務。その間約2年間に亘り、ドイツ・スイスの各医科大学で留学、帰朝後医学博士の学位を取得。日本大学医学部教授に就任、更に同大学附属病院長の要職に就き、宮...

  • 吉浦盛純

    明治29年〜平成2年(1896〜1990年)外交官  明治29年旧北山村上無津呂にて出生。旧制唐津中学、佐賀師範学校卒業後大正9年、外務省留学生試験に合格、以後ブラジル国、イタリア国、バチカン市国等の在外公館に勤務し、イタリー大使館参事官となる。  退官後、東京外国語大学講師、株式会社鹿島建設参与として活躍する。多年の外交功績により昭和41年勲三等瑞宝章を授与さる。平成2年12月、東京都武蔵野市にて逝去す。享年...

  • 渡辺朱一

    明治30年〜昭和22年(1897〜1947年)医学者 明治30年6月12日現在の佐賀市蓮池町にて出生、九州帝大医学部在学中の大正12年4月13日渡辺の養子となる(旧姓赤司)。昭和4年九州医学専門学校〔現久留米大医学部〕教授に就任。昭和7年医学博士の学位を受く。その後招きにより、旧満洲鉄道株式会社附属病院長として、錦州、遼陽・本渓湖の各病院長を歴任す。昭和20年11月終戦により引揚げ、22年3月22日病歿す。享年51歳。

  • 陣内朽索

    明治32年〜昭和19年(1899〜1944年)陸軍軍医  明治32年旧北山村中原にて北山小校医陣内味不味先生の長男として出生。大正10年熊本医学専門学校卒業、同年軍医少尉に任官。台北、鹿児島、都城、大村の各連隊に勤務し、更に日支事変により満洲、北支に転戦、大東亜戦争となり、昭和19年、蘭領ニューギニアに進出、昭和19年6月13日、栄養失調症により戦病死。陸軍軍医大佐、正五位勲三等旭日章を授与される。昭和18年歌集「...

  • 久保田環

       明治33年~昭和39年(1900~1964年)医師  明治33年8月14日、旧北山村下無津呂にて出生。大正13年3月長崎医学専門学校卒業。15年同医大助手を勤め、昭和5年2月医学博士の学位を取得。7年3月、長崎市出島町に産婦人科病院を開業。19年に唐津市に移転開業していたため、長崎の原子爆弾による被爆を免れた。原子爆弾による白血病と闘った「この子を残して」外多数の著書を残した永井博士との交遊は深く、久保田病院には多数...

  • 嘉村武夫

     明治38年〜昭和63年(1905〜1988年)軍人  明治38年旧北山村麻那古にて出生。大正12年熊本陸軍幼年学校卒業、昭和2年陸軍士官学校卒業、同年陸軍少尉に任官、5年陸軍砲工学校高等科卒業。陸軍兵器学校、兵器部、造兵廠、兵器本部等に勤務し、陸軍中佐のとき終戦。20年12月厚生省博多引揚援護局勤務、21年戸畑市役所に、23年九州電力株式会社入社、35年定年退職。同年大光炉材株式会社に入社、40年退社。63年病没す。享年8...

  • 原口善太郎

       元治元年~昭和4年(1864~1929年)薬剤師  今でも薬剤師といえば誰でもなれるというものではないが、当時としては更に希少な存在であった。薬屋として家別れをして成功し、資産をなし森平太郎の台湾渡航費を工面した。昭和16年、当時狭い北山小学校運動場を拡張し、児童生徒の体育の振興と体位向上に資するため、自家の隣接地を、杵島秀吉と共に寄付し、広いグラウンドになっている。昭和4年2月10日病没、享年85歳。

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