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[佐賀市][赤松校区][指定文化財][建造物]は5件登録されています。

  • 武家屋敷の門 一棟

    元来、門は出入りする者の身分によって格式があり、上位から四脚門、棟(むな)門、唐門、上土(あげつち)門、薬医(やくい)門、平門、冠木(かぶき)門等の順に定められていた。 この門は、元鍋島家の家老水町氏の屋敷門として、多良の名工、託田の番匠の手によって建築されたと伝えられている3間1尺の薬医門である。 もともと、薬医門は医師の門として使われたもので、病人の出入りを妨げないように門扉はなかったらしく、後に公...

  • 旧佐賀城本丸御座間・堪忍所

    佐賀市水ヶ江三丁目の大木公園内にあった南水会館建物は、佐賀城本丸跡の佐賀市立赤松小学校「作法室」を、小学校の改築に伴って昭和32年(1957)に移築したものである。 赤松小学校は、明治42年(1909)佐賀城本丸跡に開校し、当初は鍋島家から佐賀市へ寄贈された既存建物を校舎として利用していた。これらの詳細は判然としないが、南水会館として移築された建物は、他のものが解体されていく中、最後まで残存していた建築物であり...

  • 与賀神社楼門 一棟

    与賀神社楼門は、構造形式から見ると、室町時代前後のものと推定される。『藤龍家譜』によれば、「文明14年(1428)大宰少弐政資が、父教頼(のりより)の旧館を改修して与賀城を築き、与賀神社を城の鬼門の鎮守となし」との記載があり、それと推考される。 その後、文禄5年(1596)大修理を行い、寛文3年(1663)宝暦年間や、幕末及び明治・大正にも小修理が行われた。 最初は柿葺(こけらぶき)であったが、後に銅葺に改められた。終戦...

  • 佐賀城鯱の門及び続櫓 一棟

    佐賀城は、龍造寺氏の居城・村中城を鍋島直茂(なおしげ)・勝茂(かつしげ)父子によって、慶長13年(1607)から慶長16年までの佐賀城総普請によって整備拡張されたものである。 この鯱の門は、天保6年(1835)から始まる本丸再建に際し、本丸の門として天保9年(1838)に完成したものである。 本来、城門は戦時の防備に重きを置き計画されているが、建築年代が江戸時代後期でもあり、建物があるべき防備の役割は形骸化が進み、装飾的要...

  • 与賀神社三の鳥居及び石橋 二基

    与賀神社三の鳥居は慶長8年(1603)佐賀藩祖鍋島直茂の北方藤女(陽泰院)の奉献になるもので、高さ3.90メートル、笠木の長さ5.65メートルである。肥前鳥居は、室町時代の末期ごろに肥前国を中心として造立された石造文化の一つで、江戸時代初期に最盛期を迎えている。 その形式は、笠木と島木が一体化し、先端は流線形を呈しており、笠木・貫・柱が3本継で、柱の下部は張り出して生け込みとなっているなど、特色のある構造を有...

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