検索結果

[佐賀市][赤松校区][指定文化財][史跡]は4件登録されています。

  • 龍造寺隆信誕生地

    肥前を代表する戦国大名、龍造寺氏は現佐賀市城内一帯の小津東郷龍造寺村の地頭から、戦国の争乱の中で次第に東肥前地方に勢力を伸ばしてきた。明応の頃(1492~1501)に、本家の村中龍造寺家と、分家の水ヶ江龍造寺家とに分かれて、群雄に対する防備を固めた。 龍造寺隆信は、享禄2年(1529)2月15日水ヶ江城東館天神屋敷で生まれた。天文5年(1536)7歳のとき宝琳院(ほうりんいん)に入って出家し、円月と号し、また中納言と称した。 ...

  • 万部塔と六地蔵

    万部島は、かつて、佐賀城の東堀と多布施川に囲まれた文字通りの島であった。城内から舟で、あるいは裏御門を通り向陽軒(東屋敷)から陸伝いに参詣するようになっていた。  万部島には数種類の石造物が建立されている。 万部塔は、佐賀藩の代々の藩主又は、嫡男が自ら願主となって「国家安泰・万民安楽」を祈願しての法華経一万部読誦の結願石塔11基が整然と並び建っている。その形式はすべて同じで、台石、蓮華台、棹石(上部...

  • 佐賀城跡

    佐賀城は、佐賀平野の低平地に築かれた、最も幅広の所で約72メートル(40間)の堀に囲まれた典型的な平城である。この城は、天正年間に整備された龍造寺氏の村中城を拡張し、慶長13年(1608)から慶長16年まで鍋島直茂・勝茂親子の佐賀城総普請により完成した。その際、本丸・二の丸の曲輪は新たに付け加えたといわれている。慶長年間に描いたとされる「佐賀小城内絵図」の本丸には、五層の天守閣と多くの殿舎が描かれており、本丸...

  • 大隈重信旧宅

    佐賀城下の東部にあって東西に通るいわゆる「佐賀の七小路」は北から順に「馬責(うません)馬場・通り・椎・花房・中の橋・枳(げす)・会所」の各小路で、佐賀藩の中流クラスの石高の武士が住いしたところである。大隈重信の旧宅はこの一番南の会所小路の南側にある敷地約315坪(1039.5平方メートル)、建坪約45坪(148.5平方メートル)の佐賀地方に多い「コ」の字形をしたかぎ屋の一部平屋、一部2階造りの家である。2階は重信の勉強...

総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl