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[佐賀市][勧興校区][指定文化財][建造物]は4件登録されています。

  • 佐賀(龍造寺)八幡宮石造肥前鳥居 一基

    文治3年(1187)龍造寺季家が鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、龍造寺村 (旧城内)に創建した。その後慶長9年(1604)に鍋島勝茂が佐賀城拡張に際し、当地に移したと伝える。 鳥居は慶長9年佐賀藩祖鍋島直茂の北方藤女(陽泰院)の奉献になるもので、笠木の長さ4.80メートル、高さ3.40メートルである。石柱の下部は生け込みとなっていて、笠木は太い柱に対に反る特有の様式である。貫は三本継ぎで中央部分は後補により原形がいくらか改...

  • 武家屋敷の門 一棟

    小路に面し、南を正面として設けられている武家屋敷の門で、創建の年代は明らかでない。門は、3間1戸の平門で、切石礎石上に4本の方柱で直接棟木を受け、貫の上方は連子となっている。貫の上に肘木(ひじき)をとおして軒桁(のきけた)を支え、軒は疎棰(そたるき)で本瓦葺となっている。中央は両開きの板戸で、左右の脇間は片開きのくぐり戸である。両側の破風(はふ)に懸魚(げぎょ)が用いられている以外は、飾金具もなく、装飾...

  • 旧嬉野家の武家屋敷の門(薬医門1棟)

    杵島・藤津地方を中心に勢力を持っていた一族で、古くは白石氏を名乗った。同氏が歴史の表舞台に現れたのは13世紀の蒙古襲来の時であり、肥後の御家人竹崎季長を助けて奮戦、その様子を描いた『蒙古襲来絵詞』にも白石六郎通泰の名で描かれている。 佐賀藩政期になると家臣団に組み込まれ、正保や慶安の御城下絵図では、片田江竪小路1番(現在の松原神社門前)に嬉野与右衛門の名が見受けられる。明和8年(1771)の「屋敷御帳控...

  • 武家屋敷の門 一棟

    八幡小路に面して建つ二階建ての長屋門がある。この屋敷跡は佐賀藩の家老という要職をつとめていた鍋島監物の屋敷であった。 門は、潜戸(くぐりと)付長屋門で、正面向かって左側に2階建の番所があり、右側には駕籠を納める倉庫があって、屋根は本瓦葺入母屋造り、外壁は漆喰塗り、腰は簓子下見板(ささらこしたみいた)張り、番所の2階正面には出格子(でこうし)窓が設けられ、門扉には両開き板唐戸(からど)で、扉の釣元(つりも...

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