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[佐賀市][勧興校区][指定文化財][工芸品・美術工芸品]は13件登録されています。

  • 鬼丸聖堂の聖像三体と天縦殿の額

    佐賀藩2代藩主鍋島光茂は、元禄4年(1691)に城内二の丸に孔子ほか四君子の像を祀った聖堂を設けた。ついで藩主となった鍋島綱茂は、元禄10年(1697)から数年にわたって、城外の鬼丸西部一帯に広大な園地を開設し、ここに二の丸聖堂を移して鬼丸聖堂と称した。鬼丸聖堂は、鍋島直正の時代、弘化3年(1846)に弘道館に移され、その跡をとどめていないが、天縦殿と書かれた聖堂の額や3躯の聖像が今もなお伝存している。聖像は孔子と顔...

  • 色絵山水竹鳥文輪花大皿 一枚 (附)色絵山水竹鳥文輪花大皿 一枚

    安政2年(1855)に作成された『御寄附物帳』に、鍋島勝茂から菩提寺の高伝寺へ寄進されたものとして記載されている「青絵御鉢 内壱ツ裏銘大明嘉靖年製 二」に該当する作品で、2枚一対で伝来したものである。 1枚は中国景徳鎮の作品で、型打ち形成により口縁部を稜花形につくり、内外に呉須で文様を描いて色絵を施している。口径34.1センチメートル、高さ 5.1センチメートル、底径22.5センチメートル。 もう1枚は、景徳鎮の作品...

  • 短刀 一口 肥前国住藤原忠広 寛永八年八月日の銘あり

    初代忠吉(ただよし)の数少ない短刀の一つで晩年の代表作である。忠吉の作風は、一般に鍛(きたえ)が小杢目(こもくめ)で地肌は小糠肌(こぬかはだ)と呼ばれる肥前刀独特の冴(さ)えを見せており、刃文は中直刃が多く匂できで、小沸えがからんでものが多くみられる。姿は一概に身幅(みはば)があって新刀の中でも豪壮優美である。 この短刀は、佐賀10代藩主鍋島直正(なおまさ)が愛用したものといわれ、中心に「閑叟(かんそう)所持」の...

  • 太刀 國行の朱銘あり 一口

    國行は鎌倉中期を代表する山城国(京都府中部南部)の刀工で来(らい)派の祖といわれる。 彼の作刀は身幅広く、踏ん張りがあり切先(きっさき)が猪首風(いくびふう)になったのが多い。現在全国で10数口が国宝・重文に指定されている。この太刀は時代を反映した豪壮な太刀姿で、品位があり鎌倉中期の典型的な姿を残している。佐賀2代藩主鍋島光茂の佩刀(はいとう)といわれる。 法量 長さ70.6センチメートル。 反り 2.4センチメート...

  • 太刀 来國光の朱銘あり 一口

    来(らい)派は国行(くにゆき)を祖として鎌倉時代中期から南北朝にかけて栄えた山城国の刀工で、國光は来派3代目来國俊(くにとし)の子あるいは門人といわれ、鎌倉末期から南北朝初期にかけて同派を代表する刀工である。国で指定を受けている刀剣では一番数が多い。 この太刀は鎌倉末期の典型的な優品で、実戦向きの豪壮な姿と格調の高さをうかがうことができる。佐賀4代藩主鍋島吉茂(よししげ)の佩刀(はいとう)といわれる。  法...

  • 刀 一口 銘肥前國住藤原忠廣 寛永七年八月吉日

    忠吉(ただよし)は元亀3年(1572)龍造寺家の抱工橋本道弘の子として生まれ、慶長元年(1596)上洛、埋忠明寿(うめただみょうじゅ)に学び同3年(1598)帰郷して佐賀藩の抱工となり、城下の長瀬町に住む。元和10年(1624)再び上洛し武蔵大掾を受領、名を忠廣(ただひろ)と改め姓を藤原とする。「肥前国忠吉」の初代である。寛永9年(1632)60才で没した。 法量:長さ75.6センチメートル。 反り 1.2センチメートル。 形状:鎬造(しのぎつく)...

  • 刀 一口 長巻なおし 銘正平十□肥州末貞

    末貞は肥前では数少ない古刀類の刀工で、南北朝初期の14世紀中頃塚崎庄(現武雄市一帯)に住したといわれる。彼の作刀は現在2口が判明している。作風からみて肥後の延寿(えんじゅ)一派とみることができる。 この長巻は中心銘を折り返しにしたもので、もともと長巻として使用されていたものである。肥前では数少ない古刀期の刀で、龍造寺隆信の佩刀(はいとう)といわれる。 法量:長さ62.26センチメートル。 反り0.8センチメート...

  • 色絵椿文輪花大皿 二枚

    安政2年(1855)に作成された『御寄附物帳』に、鍋島勝茂から菩提寺の高伝寺へ寄進されたものとして記載されている「南京焼錦手大御鉢 壱ツ損物 二」に該当する作品で、2枚一対で伝来したものである。 2枚ともロクロで引き上げて成形している。口縁部は折縁にしてイゲ縁状に角をつけている。内外に呉須で文様を描き、内面のみ色絵を施している。文様は基本的に同じであるが、口縁部の花頭状の区画文様に若干の違いが見られる。...

  • 色絵{流水文碗(台付)、瑠璃地桜花散らし文碗(台付)} 二組

    安政2年(1855)に作成された『御寄附物帳』に、鍋島勝茂から菩提寺の高伝寺へ寄進されたものとして記載される「古南京染付御天目 二」「右御臺 二」に該当する作品である。 碗は二口ともに高台内を断面がアーチ状になるように削り込んでいて17世紀の茶道具の碗の高台削りに共通し、同様のものが有田の谷窯床下層から出土している。 色絵流水文碗(台付)の碗は、内面に透明釉(ゆう)を掛け、口唇部に呉須(ごす)を一周塗る。外面に...

  • 蒸気車雛形 附貨車他 一台

    嘉永5年(1852)に設置された佐賀藩精煉方では理化学を中心に科学技術の研究・開発にあたったが、蒸気機関の開発・試作にも尽力し、安政2年(1855)には蒸気車及び蒸気船の雛形に着手したとされる。同雛形は精煉方主任の佐野常民を中心に、中村奇輔、石黒寛次、福谷啓吉やからくり儀右衛門の名で知られる田中近江親子などによって作られたとされる蒸気機関車の縮小模型である。 蒸気車雛形は全長39.8センチメートル、車輪幅14.0セン...

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