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[佐賀市][循誘校区][建造物][碑]は5件登録されています。

  • 長徳寺の芭蕉塚

     昔天明、寛政の頃に無漏庵菊亮という俳人がおり、本名は副島作次右衛門といって、芭蕉門下五十年に及んで修行してその名を全国に響かして、佐賀の俳句の世界では中興の祖と呼ばれていたが、寛政5年3月、芭蕉の百回忌に際してこれを記念し、かつ、冥福を祈念して東佐賀町の長徳寺に、高さ1.93メートルの自然石の表面に次の句を刻み建立した。 『馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり』(この句は、小夜の中山(静岡県金谷駅の北の...

  • 種痘の先駆者、大石良英の墓地と記念碑

    佐賀城本丸歴史館に掲げられるひときわ大きい絵図がある。「直正公嗣子淳一郎君種痘之図」である。佐賀藩主・鍋島直正公が、長男の淳一郎君(のちの直大公)の種痘に立ち会っておられる。 当時、天然痘が猛威をふるい、多くの人が亡くなった。このころ輸入された、唯一の予防法である種痘は牛の痘苗を接種するのであるが、それを嫌がる人が多かった。そこでお殿様みずからが、嫡子に種痘させ、江戸在住の息女、貢姫にも接種され...

  • 勤皇僧、離蓋の顕彰碑

    幕末の動乱の中、西本願寺は勤王の志あつく、朝廷を中心とした近代国家を築き、外国の圧力に負けない国造りに尽力した。 本願寺門主の意向を受けた、当時の願正寺住職は、寺役の僧、離蓋に命じ勤皇の仕事に当たらせた。 離蓋は寺内の密室で、勤皇の志士たち、すなわち、若き頃の副島種臣、大木喬任、江藤新平、島義勇、大隈重信などの会合に便宜を図り、また僧形で全国を回り、資金を集め、各地の動乱の中にあって情報を収集し...

  • 八田江改修記念碑

     この記念碑は佐賀江川と大崎の八田江を結ぶ河道が完成したことを記念する碑である。  佐賀江川は佐賀平野の北部や佐賀市内の排水の役割を担っているが、梅雨時の大雨や台風の大雨で、度々その能力を越え上流に洪水をもたらした。  一方八田江も市内を回流した水を大崎から有明海に排水する機能としてきた。しかし泥土の堆積によって排水能力が落ち、台風による高潮で下流地域ではしばしば大きな被害を出してきた。  これら...

  • ノルマントン号海難事故と中林梧竹筆、八谷種次郎遭難追悼記念碑

    明治17年清国より帰国後4年目の中林梧竹が精魂を傾けて揮毫した碑である。 てん額、碑文とも同一書者という極めて異例の形式で、双方とも藩存直伝のてん隷技法を駆使して書かれたわが国近代書道上、本格的てん隷書の先声をなすものとして注目され、関係者の見学が多い。 海難事故は、明治19年(1886) 10月23日、横浜港から神戸港へ向かっていた英国籍の汽船ノルマントン号が、翌24日午後10時頃、和歌山県沖で暗礁に乗り上げ遭...

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