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[佐賀市][赤松校区][建造物][その他]は10件登録されています。

  • 佐賀城四方の濠

    【施工】成富兵庫茂安。鍋島直茂・勝茂父子に仕えた重臣で領内農民を動員する。 筑前藩主黒田長政人夫をおくり支援する。県立図書館・佐嘉神社駐車場の北堀で筑前堀の名をとどめている。返礼に黒田長政築城の際、堀つくりに鍋島直茂人夫をおくり支援、肥前堀の名をとどめているという。 佐賀城をめぐるお堀は、東堀693m、西堀644m、南堀765m、北堀450m。幅60〜70m。深さ2〜3m。 護岸:佐賀地方の地盤軟弱のため、基底部の沈下防...

  • 博物館と美術館

    昭和45年10月、明治100年記念事業として佐賀県初めての本格的な博物館として建てられた。ここには唐津桜馬場弥生遺跡出土品(国重文)をはじめとする考古学資料、肥前名護屋城図屏風などの歴史的資料、染付鍋島藩絵図大皿などの美術資料、工芸資料、先覚者の書画、自然資料等佐賀県内の資料を所蔵している。美術館も昭和58年建設され多方面に活用されている。 屋外には彫刻の森として佐賀市水ヶ江出身の彫塑家古賀忠雄氏((明...

  • 中山家住宅

     当家は南北に通る安住小路の西側に東に面して屋敷を構える。文化期「御城下絵図」によると、宅地の主屋を含む北半部に中山正親抱と記され、庭園の広がる南半部は横田雉之允の名が見え、中山正親の名は北隣の宅地に記される。現在では水路を越えて宅地は広がり、中山正親抱の宅地を核として、南隣の横田雉之允の宅地東隣の藤山内蔵之允の宅地も併せ、広大な屋敷構えを見せる。  屋敷構えは北側に配した主屋を中心に、その南隣...

  • 侯爵鍋島家佐賀内庫所

     明治以降、鍋島家の御館は城内の三の丸であったが、明治7年2月に起こった佐賀戦争により焼失した。筋違井樋辺より県庁(本丸)めがけて大砲を発射、御館が矢向になり、2月16日午前10時頃より御館に火が掛り、蔵々共残らず焼失と「日記」(※鍋028−1)にある。  その後、鍋島山城(親類・白石鍋島家)抱地であった宗龍寺東側の地に移転、明治9年5月「佐賀御館御玄関より役所迄の処藁葺に候処、当節瓦に葺替相成候事」...

  • 広渡家住宅

     広渡家は武士の出で、かつては広大な屋敷を構えていたようである。今日も当時の面影を見ることができる。建物は龍泰寺小路の西のはずれと通称佐大通りの交差する位置に建っている。 建築年代は19世紀中ごろと推定され、屋根はカヤぶきで東西の軒の長さ10間、南北4.5間で奥行きが浅く、全体として軒が低く長方形を呈している。  間取りは、玄関を入れると右手に8畳の居間、10畳の座敷を並べ1間半の床と床脇に天袋の...

  • 東御屋敷(向陽軒)

    佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の別荘として建築され、勝茂公は一日の多くをここで過ごした。

  • 虚受楼

     佐賀藩10代藩主、鍋島直正公が政務の疲れを癒し、漢詩の作成にいそしんだ書斎兼茶室。   天保6年(1836)2月、佐賀城南東部の水ヶ江(水ヶ江三丁目付近)に藩主の保養別荘水ヶ江茶屋「虚受楼」の建築が始まった。 直正は、天保6年の正月、下痢に悩まされて、賀正に臨まれず、2日、3日も下痢がひどく、7日には古賀穀堂を伊勢神社などに代参させるほどであった。しかし、月末になって漸く回復した。 直正は、藩主に就...

  • 観頣荘

    観頣荘(かんいそう)は、西御屋敷とも称し、佐賀藩3代藩主鍋島綱茂の別邸であった。元禄11年(1698)、家老鍋島弥平左衛門の抱え地に観頣荘が建立され、さらに、家臣の邸宅が取り上げられて広大な庭園が築かれた。元禄12年の文書にいわく「・・・御屋敷内手狭く殊に御近辺に罷り居り候者御近所故心遣い致し不自由迷惑致す由聞召し上げられ水月庵小路西側迄屋敷召上げられ候・・・」。造園には攝州兵庫の御本陣粘右衛門が招か...

  • 多久家屋敷門(1棟)

     永禄5年(1562)に肥前第二次東西戦争で西軍(有馬・大村・多久連合)が敗れ、前多久家は滅亡した。その後、元亀元年(1570)龍造寺隆信の実弟・長信が多久を支配し,後多久が始まる。水ヶ江龍造寺氏とも別称される。  長信の嫡男・安順は多久姓を名乗り多久安順となるが、鍋島氏の藩政運営では佐賀藩筆頭家老として実質的には藩政を采配している。多久安順は、豊臣秀吉の世に朝鮮にも出兵し、李参平を連れ帰った。水ヶ江二...

  • 協和館

    明治維新以降の公共建築として最初に建てられもので、初代佐賀県知事が明治19年に松原二丁目に公会堂式の大衆も使える建物として建設されたもので、社交場としても利用されたことから、佐賀の鹿鳴館と呼ばれていた。 明治27年に佐賀市が佐賀県から買収し、佐賀市庁舎として利用されることになったが、その後は佐賀県及び佐賀市有を繰り返しながら、昭和32年に佐賀郵便局を建設されることになったため、建物は佐賀城天守台に移築...

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