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[佐賀市][本庄校区][建造物][地蔵・銅像・石塔]は16件登録されています。

  • 下馬の地蔵さんの話

    鹿子下区の西旧与賀里道の路傍に下馬の地蔵と呼ばれる板碑が、小さな祠堂のなかに祀られている。 鍋島家の祖先清房公の後室慶誾尼の埋骨が慶誾寺にあり、歴代藩主が、盆正月に参拝した。下馬の制札が建っていた地蔵さん付近より歩いて松並木の参道を行かれたので、下馬の地蔵さんと呼ばれるようになった。 この地蔵さんの霊験は不思議なもので子どもの夜泣きや、疣(いぼ)取りに効果がある。夜泣きには、地蔵さんのかけた胸掛...

  • 木起こし地蔵の物語

    上飯盛の常照院の東に正里から中野實翁生誕地へ通ずる道路寄りに、大きな楠が空をついている。その根本に「木起こし地蔵さん」が小屋に鎮座されている。 この物語は天保年間(1830〜1843)頃のある日のこと。恐しく強い台風が吹いて、地蔵さんの傍らの大楠が、東の道路に倒れそうで、南は有明海の海岸で、北は本庄村正里へ通じる重要道路で上飯盛住民一同集まり、長老を中心に話し合ったが、あまりに楠が大きすぎて、処置に困って...

  • 高傳寺殉死者共同の碑

    墓所東側に龍造寺家、西側に鍋島家の墓が並んでいる。鍋島家の墓列中央に、鍋島直茂(藩祖)、勝茂(初代藩主)、忠直(勝茂の嫡子)の墓碑がある。それぞれの墓碑の背後に、仕えた主人の死去に際し、殉死(追腹)した者の氏名が刻まれた碑が建っている。 直茂{元和4年(1618)死去}の時は12人が殉死している。忠直{寛永12年(1635)死去}の時は、江副金兵衛始め5人が出た。勝茂{明暦3年(1657)死去}には26人と一番多く、「...

  • 観音寺松丸天神

    観音寺の南、観音籠の北角に小さな石祠が鎮座している。銘文に天満宮施主は松丸徳衛門とある。文政7年(1824)建立である。別名「松丸天神」という。 観音籠はもともと正里村であり、年2回の正里区の天神さん祭りには当番が松丸天神に祈願し、その後に村祭りが始まる風習が今も続いている。

  • 観音籠御霊神

    文政四年(1821) (銘文)天満宮 (施工)松丸徳ヱ門之建 現在は小学校の南観音籠の一角に祀ってあります。この観音籠は正里村であったためか、年2回の正里区の天神さん祭りのときは、正里区代表が生花とお供物をして祈願する風習が残っています。別名「松丸天神」と言います。

  • 寒若寺耳の地蔵さん

    寒若寺の地蔵菩薩は「なまくび地蔵さん」といわれて首から上の病気、特に耳の病気を治すお地蔵さんとして遠方からもたくさんの人がお参りに来ます。 お参りをする時は、必ず二人以上で来ないと効き目がありません。なぜかというと、一人が地蔵さんの膝の上の竹筒で耳の病気のある人に「フゥーッ」と軽く耳に息を吹きかけてあげなければならないからです。 年中行事として、毎年7月24日地蔵祭りが行われ、子ども達が、タワシを...

  • 寒若寺石造地蔵菩薩

    寒若寺山門を潜ると西側に石造地蔵菩薩が祀られている。人の首から上の病、特に耳の病を治す地蔵菩薩として崇められている。耳の通りを良くし聞こえ易くなるようにと、息を吹き込む吹き竹が添えてある。これは宝林寺(廃寺)の地蔵を移設したものである。

  • 満穴天満宮庚申塔

    天満宮の社殿前南側に元禄2年(1686)建立の庚申塔は13名の講仲間にて建てたものである。 講中の江口、鬼崎、今泉等は末次村の住人である。 「庚申待」とは、庚申の夜、仏家では帝釈天(タイシャクテン)および青面金剛(ショウメンコンゴウ)を、神道では、猿田彦を祭って寝ないで徹夜する習俗で、もしその夜眠ると人身にいる、三尸(サンシ)が人の睡りに乗じて、その罪を上帝に告げると、また三尸が人の命を短くするというこ...

  • 堀のなかの地蔵さん(雨ごい地蔵さん)

    鹿の子上の南西、米蔵古賀へ通る道路沿いに地蔵角の堀がある。橋の北10m程の堀のなかに地蔵さんが沈潜していた。その由来は定かでない。台座までいれると、人丈近くあるそうで、堀を干上げ地蔵さんが出ると、大雨が降ると語りつがれている。 今は、圃場整備による水路つけかえで、北方に移されている。

  • 観世音菩薩

    正里では「ヒハラシの観音」と言っています。不幸ごとの帰りには、この観音さんに参り、「忌はらし」をしてもらい、それぞれの自宅に向かうという風習が昔からありました。 幼児を抱いて胸をはだけ乳を含ませている見事なお観音さまを人々は子安観音とよんで安産や育児を祈願し、信仰を深めた石仏であります。

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