検索結果

[佐賀市][循誘校区][人物][人物]は3件登録されています。

  • 下村辰右衛門

    東京・新橋を走った東京鉄道馬車が、電車になるため、「不用になる客車やレールを使って、佐賀県内にも馬車鉄道を敷いたらどうか」、という話が出てきた。当時東京鉄道馬車の社長が、佐賀市出身の牟田口元学(貴族院議員、中央製糖、石狩石炭取締役その他)だったので大隈重信を介して、在京中の藤津郡出身の代議士永田佐治郎へ伝えられた。永田佐治郎は、この話しを聞いて鹿島の実業家牟田萬次郎氏(22歳で県会議員、佐賀米穀...

  • 島本良順

    代々漢方医の家に生れ蓮池町に開業、寛政年間(1789年〜1801年)長崎にて蘭学を学び、佐賀に帰り(1804年〜1818年)蘭方医の看板を掲げ、一方では門弟に講義を始めた。文政5年(1822年)執行勘造(後の伊東玄朴)が長崎から帰った良順へ入門した。門弟には伊東玄朴をはじめ、金武良哲、大庭雪齊など多数の入門者があった。天保5年(1834年)佐賀藩医学寮が八幡小路に設けられ、最初は漢方を教えていたが良順が寮監となって初め...

  • 中牟田倉之助

    1837.2.24~1916.3.30(天保8~大正5年) 海軍中将、子爵。佐賀城下蓮池町(旧佐賀市千代町)に生まれる。父は佐賀藩士金丸文雅、母は中牟田氏。後、母方の姓を称す。明治期の帝国海軍の創設確立に貢献。二十歳のとき藩命で長崎海軍伝習所に学ぶ。卒業後帰藩し、海軍方助役となり三重津御船手稽古所の教官として、藩の海軍創設に尽力した。さらに軍艦操練や英学を修む。戊辰戦争の際に海軍先鋒隊が編成されたとき、藩の軍艦孟...

総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl