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[佐賀市][北川副校区][人物][人物]は4件登録されています。

  • 福満寺102代の住持

    室町幕府が衰え、群雄割拠の戦国の世を迎えた。九州でも、九州探題の今川氏に対して、大友、少弐の両氏が手を握って対抗し、佐嘉地方でも、龍造寺氏を中心にして、攻防が繰り返されていた。 享禄4年(1531)大内義隆が、将軍の命を受けて、少弐氏討伐のために攻撃をしかけて来た。少弐資元、冬尚父子は、高祖城から多久梶峰城に退いて来たが、敵が綾部城(中原町)に攻め入ったので、ついに勢福寺城(神埼郡)に逃れて来た。 龍造...

  • 古賀傳太郎

    明治13年(1880)に生まれ昭和7年(1933)に亡くなった、北川副町出身の陸軍大佐。 明治34年(1901)士官候補生として騎兵第3連隊に入隊、日露戦争に従軍。39年功5級金鵄勲章授賞、昭和6年(1931)満州事変に出動、7年1月9日錦西城付近で勇敢に戦闘、羅南第27連隊長として戦死する。 その戦いぶりが当時軍国美談として、著作(「鳴呼壮烈古賀連隊長」外)や演劇などで喧伝され、佐賀城内に銅像が建った。

  • 古賀喜三郎

    弘化元年(1844)に生まれ、大正3年(1914)に亡くなった、佐賀郡北川副村古賀に生まれた教育者。 父は、平尾吉左衛門、幼くして同村中野古賀家の養子となる。安政年間(1854〜1859)15歳で佐賀藩陸軍所に入り砲術を修め、技能優秀3年の後免許相傳を受け、長崎伊王島台場司令を命じられる。在任6ヶ月にして帰国し、維新に際し九條道孝に従い砲隊司令として奥羽征伐に参加した。平定の後大総督宮殿下から感状を賜り、後藩の兵術...

  • 野田常貞

    嘉永4年(1851)に生まれ、明治40年(1907)に亡くなった、佐賀市北川副町古賀出身の政治家。 明治5年(1872)東京でドイツ語を勉学、7年(1874)帰郷「尚風社」を興し、法律を研究、弁護士となる。武富時敏と共に「肥筑日報社」を設立、政界に入って進歩党に属す。16年(1883)県会議員となり、21年(1888)議長となる。27年(1894)衆議院議員となるも1期で辞め、再び県会議員となり議長職を長く務める。30年、農工銀行設立...

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