検索結果

[佐賀市][神野校区][物語・いわれ][物語・四方山話]は3件登録されています。

  • 神野今昔物語

     足利時代の古文書には、掘江神社は、高木村と出ている。高木村の潟崎の洲にあった芦の生えた野を掘江神社の神領に寄付し、この緑由で神野という地名が生まれたという説もある。  降って徳川時代の元禄の頃には、神野村は「中佐嘉郷」と「与賀上郷」とに分かれ、次のように区分されていた。   中佐嘉郷 神野村、大財村、三溝村、愛敬島村、草場村   与賀上郷 高岸村、多布施村  更に降って文化14年(1817)の記録によれ...

  • 銅像園の想い出

     昭和年代の初め、現在の多布施4丁目、宗智寺及びその周辺一帯は「銅像園」の名称で呼ばれていた。  銅像園の中央に石垣の高台が築かれていた。十数段の石垣を登ると、佐賀藩の藩祖、鍋島直茂公(1538〜1618)の鎧、甲冑姿の騎馬像があった。大正13年(1924)、直茂公が晩年暮らした寓居跡に建立されたものである。  また、銅像の南側に水泳プールが設けられていた。古い写真を見ると、南北に幅25m、東西に 50m以上、コン...

  • 神野、堀江通り商店街の今昔

     昭和6年(1931)、都市計画の一環として与賀町〜川上線の拡幅街道が整備されることが決定され、永年にわたる拡幅工事が進められた。特に、招魂社(現護国神社)から高木瀬第55連隊までは軍用道路として、急いで整備された側面もあるようだ。現神野変電所付近から川上まで、馬鉄が設置されていた。一説では、諸富から川上まで鉄路が敷設されていたという。  その街道沿いに個人商店が出店し、自然発生的に商店街を形成した。...

総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl