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[佐賀市][巨勢校区][物語・いわれ][物語・四方山話]は5件登録されています。

  • 巨勢大明神のお告げ

    永禄9年、豊後国の大友入道宗麟が大軍を起こし、佐賀に攻め寄せた。元亀元年再び大軍を進め、その勇壮な進撃には佐嘉城はちょうど風前の燈のようであった。この戦いに鍋島信生公は命をかけられ長刀を揮い、巨勢大明神を拝し祈願をこめられると不思議にも快勝した。 その日、すなわち4月22日巨勢の宮に野営されたが、その事がただちに敵方に知れ、敵は夜討ちを企てようと忍びを入れた。ところが敵の眼には巨勢大明神のお加護で...

  • 修理田の「佐馬屋敷」

    修理田1330番地、現在の修理田橋を川沿いに北に約300m上った所に、昔、佐馬守という豪士が住んでいた。いざ事ある時のための軍資金とするため、金の釜を作り屋敷下に埋めた。しかし、とうとう使用する機会がなく現在に至ったと伝えられる。 その屋敷は今は跡形もなく、水田となっているが、明治30年ごろ原要蔵という人が掘ってみたが発見されなかった。

  • 鬼喰さんの岩

    昔、柳原に鬼喰さんという人が住んでいた。京に上って大相撲に入ったが直ちに先輩を抜いて大関になった。あまり出世が早いので妬まれ、毒殺を企てられた。そこで故郷に帰り農事の傍ら当時流行の宮相撲に出場していたが、いつも勝ちっ放しであった。こんなことから、勝ちっ放しのことを「オニキイさんの相撲」と言われるようになった。 ある日のこと、今日もまた相撲に出場しようと思い、秋の取り入れ時の事とて暗い中に飛び起き...

  • 巨勢郷では粟は作らない

    巨勢郷開拓の祖は巨勢大連であるが、現在の巨勢町内には住んでいない。実際に巨勢町内に家屋を構え住んだ人は立川阿波守が最初である。阿波守は第93代花園天皇の延慶年間に鎌倉の今泉村から下向し、今の下新村に住んだ。巨勢大明神を瓦町の老松明神の森から現在地に移し祀ったのも阿波守で、住民の面倒をよくみた。ところが、ある日のこと、この阿波守が領内巡視の際ふとしたはずみで粟のとげで目をついて苦しまれた。それで巨...

  • 高尾繩手の敵討三人入り乱れての大活劇

    寛永19年3月、高尾繩手で稚児のことから三角関係となり、訴訟による前代未聞の果し合いがあった。ちょうどそのころ藩主勝茂公は在府中でお留守、三男甲斐守直澄公がお係りでお裁きになり「双方果し合いをなし一人でも助太刀は相成らぬ。もしそんなことをすれば仕置にする」と申し渡しがあった。 「親兄弟の敵討ならまだしも、衆道の恋の果し合いとは何という珍しいことか」と、遠近から見物が押し寄せた。やがて双方から中央に...

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