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[佐賀市][高木瀬校区][物語・いわれ][物語・四方山話]は6件登録されています。

  • 蜷打の戦

     永和3年(天授3年)(1377)南朝方の忠臣菊池武朝は鋭意肥後の統治に努め、筑後をも従えて肥前に来たり、北朝方の探題、今川了俊を攻めた。了俊はこれを聞いて2月金立山の南麓千布、蜷打に陣して待機した。  九州治乱記巻之四には、「永和3年(1377)丁己二月了俊入道蜷打千布に陣を取り、云々」とある。 蜷打の古戦場については、金立地区の大野泰司氏が昭和31年に金立町の郷土史資料を編纂されているが、その中に、九州治乱記...

  • 土一揆合戦

     応仁3年(1469)の夏国府(小城)の地頭職千葉教胤は大村日向守家親を攻めようとして、藤津郡に至り、暴風雨の為軍船が沈没し、不慮の死をとげた。千葉家の嫡流が断絶しようとしたので、同じ氏の右京大夫胤紹の次男胤朝を後継と定めたが、その時の千葉家の執権に岩部播磨守常楽と中村弾正少弼胤明の2人があったが、2人は遂に勢力争いをするようになり、主胤朝は中村のざん言を容れ、岩部を追放することになった。岩部は太宰府の少...

  • 天満宮御神力

     大永年中(1521〜1527)のことであるが、社内左の老松の脇に樗の大木があり、根元は三丈程で末の方は3本の股がある。此の股の下の中程に洞があってこの内に龍の様なものが住んでいて時々外に出るので村人も恐れてお詣りする人もなくなった。そこで惣之市(神主?)の役目をしているのが宮に参詣し、悪龍退散の祈念をしたところ、神の御受納があり、3日の内に不思議にも天地一度に震動し、雷が三本の股の中に落ちかかった。  この...

  • 長瀬天満宮の苗琳坊

    当社座主は苗琳坊、開山は堺主斗頭二男康一法師の孫である。初の天台宗の僧となり、苗琳坊を建立しその座主となり数代は清僧で相勤めていたが、後になって妻帯僧となって三代程続いていたが、神前の勤めを、疎そかにした故に、神罰を被り、寺地の在家となったが慶長元年(1596)に苗琳坊も絶えて終った。元は天台宗であったが近代は真言宗となっていた。  この由緒記のことについては、専門家でないとよく判らないと思うが、往...

  • 歩兵第55連隊跡地と昭和天皇のご巡幸

     歩兵第五十五連隊跡地については次のとおりである。  第五十五連隊の兵舎には終戦の年の10月6日から進駐軍が駐屯していたが、撤収後、佐賀県では戦後外地よりの引揚者、戦災者で住宅に困った人の住宅対策として旧兵舎を改造して充てられた。協楽園と命名し、昭和22年5月7日から人々を収容した。  協楽園に関しては、時勢が安定してくるにつれ、他へ転出したり、村営住宅や市営住宅が建設されてきて、入居者は徐々に...

  • 龍堀の話

     浄蔭寺は元鍋島家の館であった。徳川初期には城を新しく造ることは禁止されていたので、館を寺とし、周囲に堀を巡らし、実は城郭としての役目を果たした。南北に大きな堀があり、また、東西にも堀を造ってあたかも龍が横にはっている形をしていたので、龍堀と言われていた。また、龍堀の伝説として次のようなことが伝えられていた。 昔この地に大きな龍巻が起こった。堀の水が空に吸い上げられて堀の水はからからになったが、...

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