検索結果

「神社仏閣」「鍋島校区」「寺」は9件登録されています。

  • 観音寺

     鍋島家の旧御館森には天満宮及び観音寺を観請されていたが、年月が経つにつれ旧跡地は荒れ果て草木が茂り、周囲農民の耕作にも支障があると申し出があったので、藩祖直茂は祖先発祥の地を荘厳にするため、西側の地を拓き観音寺を移転し鍋島家菩提寺とした。これは天文21年(1552)高伝寺建立まで続いた。なお経秀一家は代々あつく仏教に帰依し、天下泰平、萬民和楽の祈とうを続け、天明2年(1782)8代藩主松平肥前守治茂の代...

  • 蓮成寺

     江戸時代初期の頃、三日月村居住領主杉町備中守が仏門に帰依して、一宇をたて後鍋島町木角に移転して今日に至った。記録によれば、2代藩主光茂の妹が備中守の内室であった関係で、延宝3年(1675)8月光茂は両者の為に堂宇を改築し、境内を拡張して田畑を寄進し寺格を改めた。同寺の門前には一万部塔、二万部塔の経碑がある。読誦者は知正院日専上人である。  なお桓武天皇の皇子葛原親王の遠孫、千葉介常胤が江藤新平家の先祖...

  • 勝楽寺

     真言宗に属し、本尊は阿弥陀如来で聖徳太子の御作と称せられ、しかも勝楽という名が吉詳なりとして、武家の間で特に尊崇されていた。往昔日本武尊、熊襲征伐の時祈願をこめられ、また弘安4年(1281)蒙古襲来の時も当寺で祈願をこめ、境内の竹を切って軍用に供し、降って元亀元年、大友軍来襲の際も勇将鍋島直茂出陣の途次当寺に立ち寄り、竹を伐って旗竿を作り武運を祈願し今山戦に大勝利を得た。直茂凱旋後、首途の時奮って協...

  • 勝福寺

    勝福寺は山号を東光山と称し、天正2年(1574)に陽山俊虎大和尚により開山された。宗旨は曹洞宗で、永平寺(福井県)と総持寺(神奈川県)が大本山となっている。 また、本寺は佐賀市八戸の龍雲寺で、開基大和尚も龍雲寺の4世と伝聞されている。ご本尊は東方瑠璃光薬師如来が安置されており、壇信徒の深い信仰の対象となっている。 近世の歴史の中では、昭和8年に江里地区にあった東光寺の小堂並びに墓地・墓石を勝福寺内に移転...

  • 福満禅寺

    福満禅寺は、1600年頃から存在しているが、創建は不明である。当山の開山和尚は流室禅師大和尚(1672年、寛文12年没)である。本山は、京都の大本山南禅寺で、臨済宗南禅寺派の末寺にあたる。現在は13代目で、江戸時代は森田学校(寺子屋)として開校され、現在の鍋島小学校の前身となっている。ご本尊は、薬師如来で、薬や病気の神様である。

  • 地蔵院

    本山は南禅寺(臨済宗)で、当院の由来は天正時代(1573〜1592)龍造寺隆信公家臣の原口・江副両家によって設立された。原口氏から13ha、江副氏から10haの水田を周辺の百姓が小作としてその禄高をこの寺に奉納した。今でも江副氏の子孫は400年以上の歴史のある地蔵院を守り続けている。現在住職は、経済的理由等から不在で、鍋島町江頭地区の長寿庵の住職が兼務されている。

  • 光福寺

    浄土宗史に永正年間(1504〜1521)飯沼弘経寺等3代曜譽酉冏上人が肥前国に帰郷の際、四ヶ寺建立し、その中に高福寺(現存せず)の寺名があり、県立図書館所蔵の浄土宗寺院由緒には神野の潮音寺の末寺として高福寺の名が記されている。鍋島村誌には、創立年月日として、永正四年四月十五日とあるが、おそらく曜譽酉冏上人永正四年正月十五日寂となっているので、当てたものと推定される。 高福寺が光福寺になった年代は全く不明...

  • 法常寺

     明治初めの廃仏毀釈で寺は壊され、その後再興されたが現存する資料はほとんどない。  しかし、昭和63年の本尊修復工事の際に仏像の体内を詳しく調査したところ、「聖寿比丘が法常寺の住持であった大永7年(1527)4月8日に、伊勢の国(三重県)の六十六部宋須が寄附を募って資金を調達し、筑後国江上庄佐々渕に住む春香という法眼位を冠する仏師に依頼し、この薬師瑠璃光如来を供養した。」と言う記録があった。 修繕の供養や彩色...

  • 光明寺

    東盛庵の東方に、幕末の頃堀に囲まれたお茶屋(世尊寺)とお台場(台所)が造られ、佐賀藩10代藩主鍋島直正公の中折巡検(熔鉱炉、調練場)の折の休息所となっていた。 しかし、その後東盛庵には墓参りする人も途絶え、草が生い茂り荒地と変わってしまった。 そこで、庵故蹟一帯の譲渡について遺族の了解を得て隣接する田畑を一括買収し、新たな霊園を造ることになり、日蓮正宗世尊寺がお茶屋の地を譲り受けて建設された。 この場所...

総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl