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「神社仏閣」「久保泉校区」「寺」は3件登録されています。

  • 妙福寺

     臨済宗、東福寺派で開山は円鑑禅師の高弟、大道一以大和尚である。本寺の大日尊縁由略記によると本尊の大日如来は承徳2年(1098)に流失した石城山妙楽寺のものと推定され川底から発見されたこの仏像は「疱瘡の神」として近在、近郷に知られている。  この寺は神代家の分家の墓所として又中島哀浪先生の菩提寺として知られている。

  • 上揚の也足庵

    皇位をめぐる南北朝の争いに続いて、将軍家の後継争いは、地方大名を巻き込み小豪族間の勢力争奪へと波及した。この時代を戦国時代と言う。勝つためには義理も人情も無い、嘘と欺き反逆に明け暮れ、肉身をも犠牲にし、上下の関係も薄らいだ時代である。  肥前においても、藤原系を名乗る龍造寺・太宰の少弍・関東下向の千葉氏、北の松浦・波田、西の橘・後藤・大村、島原の有馬、それに加えて豊後の大友、南の菊池・島津、中国...

  • 松陰寺

     神代1万石の菩提寺松陰寺は、西原天神山東の竹林に囲まれているが、もとは鈴隈南麓お霊屋下に在った。『太宰管内志』によれば、この辺に太郎丸(泰郎丸の誤りか)という所があってそこに行基菩薩(?)が作ったという薬師尊像があった。松陰大姉(鍋島勝茂の娘で、神代5代邑主常利の妻。性空院のこと)は先祖菩提のため仏殿を建立し医王山松陰寺と号した。本尊は唐佛の釈迦とその弟子の三尊云云とある。  

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