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「神社仏閣」「高木瀬校区」「神社」は13件登録されています。

  • 八幡社

    八幡社は大字東高木422番地にある。肥陽古跡記に、高木八幡宮は高木村にあり、久安中、貞永の祀るところと伝う。宮は今佐賀郡高木瀬村八本杉にありて、社記に「高木越前守藤原貞永と申す人、平氏残党追伐の命を蒙られ、此の国へ下向有りて、佐賀郡高木の庄に居住せられ、武備を専にして、民を撫育し、大平の治に帰らん事を思ひ計り居られしに、或る時午睡せられける夢の中に、忝くも異霊の御姿忽然と顕れ玉ひて、告けて宣はく、...

  • 太郎坊社

    拜殿東側に在り、祭神火具土の神  太郎坊は次郎坊、愛宕坊等所謂八天狗の中の一神で元来火の神である。民間の信仰として難病その他の危難を救う神とされている。太郎坊社は55聯隊ができる頃、現大島神官の祖父の時代太郎坊講を仕立て建立されたものである。今でも参拝者多く、東京、北海道在住の人の供進があっている稲荷社。八幡社境内の西北隅に在り、椎の森稲荷ともいう。元椎の木の大木数本があった所から名づけられたもの...

  • 長瀬天満宮

     今から1000年以上前、後一條院の時代、京都の康清法師なるもの諸国巡遊の際寛仁元年(1017)2月14日当地長岡に一泊し、霊夢を見、勅命によって、このところに天満宮を建立し、康清及其の子孫神職として奉仕した。そして神領40町歩と定められ、同時にこの地を長瀬と改称した。  下って後柏原院は勅願社たるの故をもって、御真筆一巻を寄進せられ、又永正12年(1515)藤原常家、胤眞の両名宝殿の造営を行った。後に藩主鍋島勝茂公...

  • 坪ノ上天満宮

     昔は曲渕天満宮と称していた。享和3年(1803)村の鎮守として地区の東北隅(鬼門)に創立された。周囲は杉の森にかこまれ、裏には一本の松の大木が天にそびえていた。風のない日でもその下に行くと松風の音がしていた。この天満宮が現在の所に移転されたのは、大正の初め頃であった。天満宮のあった一帯は今も天神という地名で呼ばれている。曲渕の名は、前に鎮座されていた所の地名で、脊振山の三瀬峠を北に越えてすぐ下の地区で...

  • 平尾天満宮

     大字長瀬2510番地、即ち平尾地区の東南端にあり、平尾天満宮は今よりおよそ五百数十年前に越前地方より封ぜられ、一万石を領する平尾の殿様によって建立せられたと伝えられる。又一説には現在の巨勢町平尾天満宮の分神ともいわれる。これは当時この辺一帯が湿地帯であり、その開懇のため巨勢町平尾の人が移住して来たのでその氏神を祭ったのではないかとも考えられる、それでは天満宮の創建はいつ頃であったろうか。参道正面...

  • 養父社

    創建されたのは下高木の守り神としてであり、祭典は8月4日の夏祭りや12月7日の秋祭りで、高木八幡神社の神官により祝詞奏上が行われている。  昭和51年11月には、佐賀市都市計画道路の植木・東高木線の新設拡幅工事に伴い約200m西南の現在地に遷座された。  養父社、通称「おやふささん」で夏祭りの当日(8月4日)で、戦前は付随する建物で旅芸人による演芸会が、戦後は青年団による演芸会が催され、時には映写会も開かれ、娯...

  • 小里五社権現

     西小里の西方にあり、祭神や起源は明らかではないが、伝説によれば大昔北条時頼が小里村に滞在しており、後川上の大願寺で亡くなった。大願寺、小里の村人は各々社を造ってその霊を慰めることにした。これが五社権現であるという。大願寺の社が本社であり、小里の社が末社という関係にあったらしい。大願寺の本社の屋根の葺き替えには小里の人達が出動することになっていた。この奉仕作業は昔からずっと続けられてきたようで...

  • 仲田代天満宮

     仲田代天満宮の由来  仲田代天満宮は元、森蔵天神と言い、霊元天皇(貞享2年)徳川綱吉将軍(1685)、鍋島光茂の時代に創立され上渕地区の東部にあったものを仲田代の当地に移されたものです。祭神は菅原道真公です。森蔵天神には当時農閑期にお晦日(籠)等行われていました。明治41年無格社合併の県の方針によって、一旦は東高木八幡神社に合併され其の後元の村々に帰座し、大正4年百武嘉一、百武政一両氏の土地提供により...

  • 若宮八幡社

     小里と坪の上の境の田圃の中には、若宮八幡社という祠があった。熱病の神様として信仰を集め、人々は、豆腐を供えて祈願をしていたが、後段々と廃れてきたので、長く高木瀬小学校の校医をしておられた池田俊溢氏がこれを遺憾とし、大正10年頃自分の屋敷内に移され、今も池田氏の庭に安置され丁重に祀られている。  天明七年(1787)二月吉祥日の刻がある。  小里本村より、二又へ行く分かれ道には太神宮と猿田彦大神の石碑...

  • 鏑流社

     天明六年(1786)の上高木の絵地図には、養父社として示されている。東高木八幡社の末社であって、同社に残っているもう1つの記録によれば、祭神は天鹿供矢命となっている。創建の年代など一切不明であるが、社殿は昭和16年に改修されている。敷地はおよそ300坪はあろうかと思われ、位置は上高木宿の裏手にある。  拝殿正面の欄間には、十二日脚重ねの紋が彫刻されている。神殿の丸瓦にも十二日脚の紋が打ち込まれている。...

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