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「建造物」「赤松校区」「橋・井樋等」は5件登録されています。

  • 蒟蒻橋

    龍造寺隆信誕生地のすぐ南で、中の館公民館横の水路に架けられている。近くの寺がその昔住職がいなくて荒れ果て、うっそうとした大楠にコンニャクの化け物が住みつき、ここを通る人のほっぺたにくっつき人をふるえあがらせたという。ある日のこと、うわさを聞いた侍二人がコンニャクの化け物退治にやってきて、コンニャクを切りつけたが、化け物はふるえるばかりでさすがの侍も気味が悪くなったという。このようなことから、そ...

  • 愛右衛門橋

    多布施川がこの付近までさかのぼっていることから、藩政時代には多布施川の上流まで川砂をとりに船が上り下りをしていたという。砂をとらない時は船をはしけのかわりに横に並べ人を渡していたといわれている。その船頭役をつとめていたのが愛右衛門といわれていることから、この橋の名前がつけられたという。 今日では川幅が狭くなり周辺には民家が密集し、往時の面影を見ることはできないが、かつてはこの川も清流で種々の魚が...

  • 了関橋と蓮池藩

    蓮池2代藩主鍋島直之は佐賀本藩4代藩主吉茂より軍学の教えをうけるため、佐賀城下へ連日通っていたが、蓮池から佐賀城下までの道のりは遠く、構口を通ってう回しなければならず苦労されていた。そこで直之は蓮池から佐賀城下まで直線で道路を作ることを計画した。城下入口にさしかかった時、川が流れていた。これが今日の裏十間川である。直之は困りはてたすえ、橋を架けることにしこの橋に了関橋と名づけた。了関とは直之の戒...

  • 室園橋

     もとの室園遊郭(今宿遊郭)の北入口と西入口に同名の橋が2つある。北の橋の欄干には、真松楼、酔月楼、三浦屋、三玉楼、丸吉楼、太平楼などの楼名が刻まれている。この2つの橋は室園遊郭組合の手で大正9年に造られた小さな石橋である。  遊郭で貸座敷業が始まったのは明治21年(1888)。佐賀市上芦町(高木町)は、明治17年開庁した県庁に近いため職員の風紀が乱れるとして営業廃止された。江湖端の材木町や今宿町では、廃...

  • 横目橋

    橋は材木町と水ヶ江町の間の裏十間川に架けられている。ここは佐賀城の外堀で川の西側が水ヶ江の武士の町、東側の材木町、紺屋町の名が示すように町人の町である。この橋を渡る時、いつも職業の違いで対立意識をしていたことから、お互いが敬遠して「じろり」と見つめあっていたことから、いつしかその名がつけられたといわれている。この周辺は明治の中頃まで舟が行き来をし、物資の集散地として栄えていた。この川筋の橋の横...

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