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「遺跡・史跡・跡地」「久保泉校区」「遺跡・史跡」は4件登録されています。

  • 丸山遺跡

     丸山遺跡は金立山南麓より平野部に突出した丘陵上にあり調査前は雑木林であった。当地周辺は戦後蜜柑園として造成された為、多くの古墳が何らかの破壊をうけていたのに較べ、幸にも旧来の姿を残していた。  調査は昭和52年1月から昭和57年10月まで断続的に実施され、縄文時代晩期〜弥生時代前期(約2200〜2400年前)の墓と5・6世紀の古墳群などが発見された。  縄文時代のものには甕棺(3基)、支石基(130余基)、石棺(3...

  • 西原古墳群

    脊振山系の南麓に続く西原の低丘陵地で松林の中に古墳群が点在している。ほとんどが円墳の横穴式石室で開口され、いずれも巨石を用いている。  この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて築成されたものと推定され、この濃密に分布する古墳群は広大な農地に恵まれたこの地方に、当時家族集団を基礎とする農耕集落が相当発達していたことを物語るものである。

  • 古村周辺遺跡(ふるむらしゅうへんいせき)

     下六の古村一帯には、中世遺跡が多い。  中世とは、平家が滅んだ1185年から、鎌倉・南北朝・戦国の時代を経て、関ケ原の戦いの1600年までをいう。  10世紀初頭には、各地に荘園といって貴族・社寺の私的領有地ができ、春日・松梅・金立・久保泉・西郷は、安富庄として後白河法皇が建立された長講堂の御領であった。ところが、鎌倉幕府の守護地頭配置によって武家に侵略され、南北朝動乱の後は庄園は廃れ、小地頭を勝手に名...

  • 支石墓

     金泉中学校の南、150mあたりは昭和25年頃まで桑畑や野菜畑であったが、段下げをして水田になすとき、かめ棺群が見付かった。  ここのかめ棺は、木蓋や石蓋をした単かめと、進化した合口かめ棺が多く、僅かに傾斜して埋葬した弥生中期のもの。  平成2〜3年に行なわれた圃場整備現地調査で、少し離れた所から弥生中・後期の竪穴住居跡やその後の掘立柱建物跡が確認され、この地の農耕集落が分かった。  その西北、運動場の南...

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