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「遺跡・史跡・跡地」「兵庫校区」「跡地」は3件登録されています。

  • 防所 

    はじめ金立、川久保あたりの山麓に住んでいた人々は、水稲栽培が始まると漸次移動して、野中の傍示原、立野、草原方面に下って来たと思われる。 『肥前風土記』に、佐賀には郷が六つあって、城崎、巨勢、深溝、小津、山田、防所とあるが、吉田博士も防所の地は不明と書いている。前記の巨勢徳太古が新羅の侵攻に備えて、九州防衛のため巨勢郷を開拓して、ここに館を構えたことを考えると、傍示はもと傍所原とよび防所と書いた古...

  • 役所跡 

    堀立稗蒔の井手宅を、土地の人は役所と呼ぶ。藩政時代罪過を犯した者を検察し小事件はここで処理したという。現在の警察派出所の職権をやや強化していたもののようだ。

  • 鍛冶屋敷 

    野中草原の南端に鍛冶屋敷という1軒の藁葺の家があった。ここに250年前、藤原巨勢弾正一刀太と称する刀鍛冶がいた。 一刀太は越前の国の者であったが、ある事情でこの地に下り隠とんの生活を送っていたらしい。付近にその墓がある。 肥前日々新聞の主筆が調べた刀工の記録に、肥前国巨勢字草原の郷に肥前草原市太源という名工が住し、刀工として寛永の頃栄え、弟子を養い、神埼、島原、平戸、諫早など各地に一派をなして市太源...

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