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「自然」「久保泉校区」「樹木・花」は5件登録されています。

  • 誰故草(たれゆえぐさ)

     桜の花の咲く頃から、脊振南麓の古生層地帯に、小さなあやめその侭の可愛いい薫紫の花が、群をなして咲く。昔は「雛あやめ」「姫あやめ」と呼び、子供が花あそびをしていた。  明治30年愛媛県で見付けられ、当時の植物学者牧野富太郎博士によって地名をとって『えひめあやめ』と命名された。ところが既に世界植物学会では洋名の登録があり、日本でも古い地誌(芸藩通志及び西備名区)に『誰故草』と呼ばれていることを知られ...

  • 銀木犀

     県道小城・北茂安線の南400mの折地地区(下四)増田樸氏方の庭先きに根廻り2.3m目通しで二枝に分かれ、高さ10m余、樹令300年を越すといわれる名木銀木犀があった。ひひらぎ科、雌雄異株。  夏の日差しがいくらか和らいだと思う頃、どこからともなくいい薫りが漂って来る。春は白木蓮の蕾が、秋には木犀の薫りが古里の四季を教えてくれた。誰かがこの薫りは「極楽の匂い」だよと教えてくれた。秋の彼岸前後だからか、よか人ば...

  • 県営模範林

     川久保藩邑主神代直宝(鍋島直大の従兄)は、明治20年頃山林原野350町歩を川久保村に、明治38年1月山林95町余を佐賀県に寄贈した。貰い受けた佐賀県は、林業の合理的経営のテストケースとして『県営第一模範林』とした。  早速、その年(1905)の3月から、松・檜・杉の植林を始め3ヶ年で造林を完了した。植林後の数ヶ年は地元民の協力によって、下草刈・つる切り・枝打を続け保育して来た。  その甲斐があって、露出した山...

  • 宮分の鐘掛松跡

     宮分鳥居原集落の北に、土地の人が「鐘掛松」と地名をさしていっている。  今は道筋も、川筋も直線化しているが、元は道路も川も大木の松を中央にして曲っていた。樹齢700年を越すとさえ言われた程で、根廻り6mはある老松。樹姿も美しかった。  敗戦後枯れたが、松食い虫の痕跡は無く、何人もの人が臼を造った。この松は、白鬚明神の神木と言われ、戦時中松根油を掘るときも、神木の名でこれだけは除外された。  この松が...

  • 上和泉の金立森

     上和泉集落の東にタカタ山または金立森というのがあって、昔は老松が生い茂っていた。徐福一行はここに来て休んだが、松風の音で夜は眠られず、『波の音聞くまい山の仮り住まい 苦はのがれぬ松風の音』と詠んだという。泊った祠を「元金立社」といい、上和泉上古賀の人達は代々免田(祭田)を持って、年1回の祭りを続けていたという。

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