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「人物」「兵庫校区」「人物」は21件登録されています。

  • 中野子徳太郎

    明治5年、上分曲里に生まれた。同20年4月佐賀市有隣館に入学普通科を修了し、24年9月東京国民英学会に入学、25年9月早稲田東京専門学校に転じ、英語、政治科を学び28年卒業した。さらに欧文正鵠館に入学し英語を数年間研究して帰郷した。29年佐賀市西肥日報社に入社し大いに健筆を振るった。33年4月から西肥仏教中学英語教員の嘱託となった。 38年推されて県会議員に当選し、かたわら北方炭礦傭船ノルエー汽船ブリマ号の事...

  • 柴田徳一

    明治4年8月堀立に生まれた。明治23年佐賀中学尋常科を経て、8月特別認可私立東京法学院へ入学、26年7月邦語法学科を卒業して39年会計検査院属に任官、40年官を辞して帰郷した。同年村長に推挙され、43年病気のため辞職した。 大正8年9月佐賀郡会議員に当選し、郡制廃止に至った。大正10年佐賀県会議員に当選し、14年3月再選、また昭和2年1月兵庫村長に推挙され、その後村長の職にあること実に20年に及んだ。終戦による...

  • 中野子功 

    豪農中野子徳太郎の長男として明治38年9月11日伊賀屋に生まれた。資性豪邁で才能衆に秀で、佐賀中学を卒え早稲田大学に学び、昭和3年7月兵庫村役場に奉職した。父は前記の通り県会議長として県政に貢献したが、この親にしてこの子あり、その才幹はつとに村民の注目するところ、昭和8年には村警防団長に推され、同11年には兵庫村助役に抜擢された。時に年令33歳であった。政治的手腕と行動力はよく村民を誘導し、中央教化連...

  • 小野哲一

    明治28年1月、若宮で生まれた。大正9年東京帝大法学部政治科を卒業し、同年12月横浜正金銀行に入社し、同銀行の本店ならびにニューヨークなど海外の支店長、支配人として活躍し、頭取席、東亜部次長を最後に昭和21年8月、同銀行を退職された。 しばらく門司市の岡野パルプ株式会社の取締役を勤めたが、同年10月郷里に帰り、佐賀市長として連続2期8年にわたって町村合併の困難な市政を担当して、その大役を果し大佐賀発展へ...

  • 秀島常次郎

    明治33年2月10日若宮で生まれた。大正8年3月佐賀師範本科1部を卒業して、高木瀬小学校訓導任命以来各校訓導を歴任し、昭和7年兵庫小学校首席訓導となった。昭和17年小副川小学校長となり、以後県視学に補せられ、藤津、佐賀教育事務所長を経て、昭和25年3月兵庫中学校長となった。28年依願退職したが、教育功労者として県教育委員会より表彰された。 昭和30年以来兵庫町公民館運営委員長となり逝去されるまでその職にあっ...

  • 小柳勇

    大正14年2月堀立に生まれ、昭和16年3月佐賀中学校を経て、4月海軍甲種飛行予科練習生として土浦海軍航空隊に入隊し、続いて海軍第28期飛行練習生となった。昭和18年卒業と同時に海南島、比島、上海などに渡って、太平洋戦争の最前線で航空隊員として活躍した。幸いにして復員したが、兵庫町青年団の再建に尽くし、県連合青年団の体育部長、総務などの要職に就き青年団の発展に貢献した。昭和26年上京して国会記者となり、参...

  • 宮崎林三郎

    安政4年(1857)4月、瓦町上分に生まれた。父栄蔵は村治に功績を残したが、氏は専ら農業に従事した。教育はわずかに寺子屋で読み、書き、そろばんを学んだのみで、兵役を終えてから商業の道に進み相当の財産をなしたが、中途不運にも資産を一時に失った。その上、平素の眼疾が悪化し、遂に失明するに至った。「富をつくるのは永遠の計ではない。家運を挽回するためには堅実な仕事を残すことだ。」と悟り、盲目の身にもかかわら...

  • 原口甚七

    明治43年4月、愛知県農会編集の『全国篤農家列伝』に、本県から兵庫村原口甚七、東川副村堤善太郎、西川副村山口覚太郎、芦刈村土橋徳三、岩松村古川亮雄の4名が挙げられ、その業績が記載されている。 原口甚七氏は弘化3年(1846)10月5日兵庫村瓦町に生まれた。代々庄屋を勤めたが、父は家を出て一家をたてた。氏はその長男である。18歳の時、父の家業を継いだが家産も豊でなく、学業を修める余裕もなかった。21歳の時父を失...

  • 田口英山 

    明治7年5月本庄町高柳に生まれ、曹洞宗鎮西学校、東京高等中学、さらに東京神田国民英学会高等科で英語研究2か年、明治32年1月、曹洞宗管長から特任で長興寺住職となった。布教のかたわら、多くの公共事業に関係したが、主な事績を列記する。 一、明治35年3月から佐賀孤児院事業に従事した。 一、明治41年1月、居村に青年会を創立し会長を勤むること26年。 一、大正5年から県下の処女会、婦人会を巡回して生活改善、精進...

  • 村岡清三郎

    明治14年2月、堀立に生まれた。同34年佐賀中学校を卒業して37年小学校本科正教員の免許状を得て日新小学校、西郷小学校の訓導を勤めた。大正元年10月、私立成美高女の教員嘱託となり、大正4年中等学校教員免許状をとり、大正9年成美高女の教諭となった。 退職後兵庫村史編さんの際総合執筆を懇望され、編さん会長柴田徳一、世話係宮崎八郎と協力し、資料の整理分類執筆に長期に渡って努力した。また教育家としてその功を認め...

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