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「人物」「久保泉校区」「人物」は3件登録されています。

  • 神代家(親類藩) 

     神代家は、人皇8代孝元天皇の孫・武内宿禰を元祖とし、高良山玉垂の宮に仕え高良山に住んでいたが、源平の頃高良山の北麓神代村に移った。元寇の役のとき増水した筑後川で、筑後以南の軍勢を船を繋いだ浮橋によって渡した功により、幕府の感状を貰っている。以来、久留米東北部の地頭職であった。  戦国中期、筑後の蒲池・西牟田に攻められ、一族と筑後の地頭土豪達27人が松浦の波多氏を頼って行く途中、千布の陣内氏と仲良...

  • 中島哀浪

    (1883〜1966)  「佐賀は文学不毛の地」との評は、佐賀の人が中央で華やかな活動をしなかっただけで、豊かな文学風土は長い間、先人達によってはぐくまれてきた。むしろ維新前後の沢山の英傑や戦時中の軍人の影に隠れて、皆が気付いていないに過ぎない。  ここでは、われわれに最も身近な1人、郷土が誇る歌人中島哀浪を取りあげる。哀浪は北原白秋・若山牧水と並ぶ九州三大歌人の1人で、久保泉で生まれ育ち、佐賀を離れず郷...

  • 横尾 柴洋

     横尾紫洋は、春日の高城寺で学び、20才で長州(山口県)・京都・江戸に遊学。日光東照宮の豪華さに比べ、当時の皇居の荒廃を見て歎き、事を構えようとして露見。郷里に帰ったが再び京に上り、関白九条家の侍講(天皇・将軍へ講義する職)となった。幕政批判をする紫洋をおそれた鍋島家は彼を引取ろうとしたが本藩の帰国命令に従わなかったので、捕えて佐賀で斬刑にした。51才、幕府の目を恐れてのこととは言え、江藤新平同様...

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