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「人物」「蓮池校区」「人物」は17件登録されています。

  • 蓮池藩主

    鍋島時代の蓮池藩は初代藩主鍋島直澄が甲斐守に任ぜられ、2代直之は攝津守、3代直稱(なおのり)が甲斐守と各代交互に甲斐守と攝津守に任ぜられた。

  • 蓮池藩第1代鍋島(甲斐守)直澄

    在位26年(1639〜1665) 初代藩主として藩制の大綱を定め藩治時代の基礎を築いた。51歳のとき職を嫡男直之に譲り、塩田吉浦に別館を設け余生を送る。剃髪して義峰と号し、寛文9年3月5日吉浦の館で没した。遺骨は西小路の宗眼寺に埋葬。また、延宝8年嗣子直之は塩田吉浦に祠を建て直澄を祀った。現在塩田にある吉浦神社がこれである。

  • 蓮池藩第2代鍋島(攝津守)直之

    在位43年(1665〜1708) 初代藩主直澄の嫡男、24歳で藩主となった。 蓮池藩は小城、鹿島の各藩とともに幕府からは諸侯として認められていたが、本藩の直参と支藩、その他の家中の身分の呼び方でしばしば紛争があり、天和元年には将軍への献上物のことについて本藩から直之が責められ鶴田九右衛門という人が責を負って自殺する事件があったりした。天和3年佐賀藩に「三家格式」が出来て本藩と支藩の間に主従関係が確立し紛争は...

  • 蓮池藩第3代鍋島(甲斐守)直稱

    在位9年(1708年〜1717年) 直之の養子となっているが実は直澄の五男である。在位中に勅使接待役の命を受けたり領内が洪水不作に見舞われるなど、藩財政は益々苦しく藩士に銀料を出させたりした。享保2年には家督を嫡子直恒に譲って隠居した。

  • 蓮池藩第4代鍋島(攝津守)直恒

    在位32年(1717〜1749) 若冠17歳で襲封した直恒は歴代中最も不運に見舞われた藩主であろう。 享保17年(1732)西日本一帯に及んだ大飢饉は佐賀平野を中心にして筑前と肥前が最も甚だしかったようである。翌18年にかけ佐賀藩内で餓死した者約8万人と推定され享保16年37万2千人だった佐賀藩の人口は同19年には29万2千人まで減っており約8万人の犠牲者の中、男5万5千人、女2万5千人と目立って男に餓死者が多かった。この中...

  • 蓮池藩第5代鍋島(甲斐守)直興

    在位8年(1749〜1757) 直恒の長男として蓮池で生れ20歳で襲封した。直興の代もまた、悪疫流行、天災による凶作が続いており、宝暦6年の凶作では幕府は蓮池藩の江戸神田橋門衛の役を解き、藩は同6年7月から7年4月までに飢餓者のため延57.750人に1人1日1合の米を給した。その他宝暦2年8月11日神埼町祇園祠内に鐘樓を設けて時鐘を打つことを許し、また、宝暦6年12月には町村五人組連坐の法を定めている。宝暦7年5月...

  • 蓮池藩第6代鍋島(攝津守)直寛 

    在位16年(1757〜1773) 直興の養子となっているが実際は直恒の四男、即ち直興の実弟であり家督を相続したのは12歳の時であった。在位中に菩提寺宗眼寺の全焼、お館の落雷による火災全焼に遭ったほか、3度の天災による領内不作の年があり、また、大坂藩邸は負債のため抵当となった。しかし、暗いことばかりではなく、塩田村の前田伸右衛門という人が村中の幼童青年30余人を集めて文学を教授し、かたわら藩に願って久間の荒地を...

  • 蓮池藩第7代鍋島(甲斐守)直温

    在位43年(1773〜1816) 直寛の長男、わずか7歳で家督を継いだ。天明元年4月、旧会所を学寮として藩士を通学させた。この学寮は同4年成章館と命名された。初代教頭は攝津尼ヶ崎の人で栗原嘉十という人である。同じ頃諸国飢饉となり肥前地方も凶作、疫病流行の年が続いた。蓮池藩でも天明7年には飢えた庶民のため神埼町、本町、蒲田津で廉価米を出して救恤している。このように天災が続いたほか、幕命による土木工事請負など...

  • 蓮池藩第8代鍋島(攝津守)直與(なおとも)

    在位29年(1816〜1845) 直温の養嗣子、19歳で蓮池藩主となる。寛政・享保時代藩財政の窮乏から藩治が弛緩していたことを嘆いた公は藩主になるとともに理財のことに意を注いだため数年ならずして財務情況は好転しはじめ、文政10年には藩士給禄の部割を減らし、諸礼式等を享和以前に戻すことが出来た。また、官吏を督励して文武を勧奨する一方、信賞必罰を徹底したため藩風は大いに引締った。弘化2年嫡子直紀に家督を譲り、東館...

  • 蓮池藩第9代鍋島直紀 (なおただ)

    在位26年(1845〜1871) 直與の長男、20歳で蓮池藩主となった。嘉永年間から安政年間にかけ幕府は欧米諸国の求めによって各国と和親、通商の条約を結ばざるを得なくなる。一方国内では尊皇攘夷論者の活動が活発化していき、幕府の威信は次第に低下していた。しかしこの時代の蓮池藩ではまだ殆んど動揺は見られない。 嘉永5年2月28日夜、成章館は家老石井玄蕃方から出た火で類焼した。安政2年4月15日には佐賀藩医大石良英を...

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