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「物語・いわれ」「北川副校区」「物語・四方山話」は5件登録されています。

  • クリークの思い出

    化学肥料のなかった時代は、泥土は地力増進のためには貴重なものであった。各年毎に、裏作、休耕田、地力維持のための泥土揚げに力を入れていた。泥土は、「ブイ」といった荷負道具で、田圃に配られていた。 石井樋からの水が止まり「干落ち」となって泥土揚げが始まると、学校から一目散に走って帰り、勉強道具を投げだし、手網とびくを持って、泥土揚に行き、泥んこになって夢中で魚を捕った楽しい思い出が、今でも忘れられな...

  • 徐福伝説

    今から約2,200年前、皇霊天皇の72年、万里の長城を築いた秦の始皇帝の第3子徐福が、始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求めて、20隻の新造船に、若い男女500人を連れて、五穀を初めさまざまの品物を持って、蓬莱(ほうらい)の国日本に向って船出した。 そして、九州に現われ、有明海に入り船を着けたのが、諸富町搦(からみ)であった。 そこで、長旅の疲れをいやし、由緒ある土地であるからとして、美しい宮を建てたのが、金立...

  • 福満寺の回国塔

    福満寺の門前に残る回国塔は、高さ6尺余りの花崗岩で、少し傾いて建っている。前面には、中央上部に仏像を彫り、その下に「大乗妙典回国之塔」の8字、右側には、「天下泰平」、少し下に「奥州津軽」、左側には、「国家安全」、同じく少し下に「行者諦賢」、また裏面には、年月日が刻んであったようだが、「享保年間」とだけしかわからない。 享保2年(1717)春3月、彼岸会の最終日、寺の門前を訪れた一人の六部経持ちの旅僧は、見...

  • 佐賀の化猫騒動

    鍋島勝茂公は、窮迫した藩の財政建て直しのために、領地の開拓による国益の増強を図るべく、有明海の干拓事業に着目し、白石の秀津に館を建て、よくこの館に来ては、工事の督励に当たった。 当時、武家の間には、鷹狩りの技がもてはやされ、佐賀藩でも、白石平野が藩随一の鷹狩り場とされ、勝茂公も、須古山、杵島山一帯、太原での鷹狩り、猪狩りを常とした。白石に来ては、この白石の館に滞在することが多かった。 ここに逗留...

  • 佐賀空襲

    昭和20年8月5日から6日未明にかけて、佐賀市周辺は、B29の洗礼を受けた。 マリアナ基地を発進したB29約30機は、九州西海岸を北上して、佐賀平野上空に侵入した。5日午後11時30分頃から、1分から3分間隔にて、6日午前1時頃まで、約1時間半にわたり、北川副・西与賀・諸富付近に、焼夷弾攻撃を加えた。それに、本土近くまで接近してきた航空母艦から飛び立ったグラマン戦闘機から、無差別の機銃掃射が人影に浴びせかけられた。 ...

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