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「物語・いわれ」「本庄校区」「物語・四方山話」は14件登録されています。

  • 鍋島家の由来

    戦国時代、九州の三大勢力にまで成長した龍造寺氏のもとで活躍した鍋島氏は、龍造寺氏の勢力が衰えると、かつての実力が認められ、同氏の跡を受け継いで領国を治めることになった。それから、江戸時代を通して幕末まで鍋島氏の藩政が行われている。 その鍋島家は、誰が、どこから、いつごろ、どうして、肥前の鍋島の地を選び居館を構えたか、同氏の活動が始まる前のことについて、裏付けとなる確かな史料は乏しいようであるが、...

  • 盲目堀(めくら堀※)物語 ※歴史的固有名詞であるためそのまま使用しています

    溝口と正里との畷の中央で、佐大職員宿舎の北にある東西の水路を盲目堀と言う。 その昔直茂公が幼少の時、千本松の館より飯盛の石井常延兵部大輔の館に通って夜学に励んでいた。ある夜帰り路に荒神盲僧さんが路傍の堀に落ちて溺死せんとしているのを直茂公は助け上げた。背負って館に帰り火を起こして暖め、食事など与えて介抱し元気になった盲僧を小城まで送って行った。 盲僧は直茂公の好意を非常に喜び、行脚のとき使ってい...

  • 詫田(多久田)の番匠物語

    昔は大工や石工には階級があった。朝廷の仕事の出来るものを匠(タクミ)といった。次は番匠(バンショウ)次は棟梁(トウリョウ)次は石工、大工、弟子といった。 多久聖廟や八幡社の彫刻は、詫田番匠がこの仕事をする時には身を清め、聖徳太子の像を拝み、立派な仕事をしたと言われている。 多久田の番匠作の動物は、本物のように動き回るのでキリシタンの魔法使いと疑われ、度々役人が逮捕したが、それがまた人形ばかり。そ...

  • 鍋島家と千本松

    鍋島家の先祖は佐々木源氏で長岡伊勢守経秀と言い、京都長岡に住まって居たが、その子三郎兵衛尉経直と共に肥前に下り、今の鍋島町に住んだ。鍋島町の東北一本松に約4畝程(約4アール)の土地があり、これを「御館の森」と称し、今なお碑石もある。経直の時代に「鍋島」と名乗り、今の本庄町東寺小路千本松に移住した。 直茂は天文7年(1538)3月13日佐賀郡本荘の千本松賢誉様(直茂公の姉で鍋島伊豆守信定の室)の館で生まれ...

  • 王子権現と日本武尊

    景行天皇(第12代)の時代。火前国(肥前国)小津の川上(佐賀市川上付近)に取石鹿文(川上梟帥)と言う熊襲の首領がいた。 当時九州の熊襲は、朝廷にしばしば叛乱をおこし、景行天皇の26年に天皇は討伐の軍議を開かれた。 皇子小碓尊(後の日本武尊)御年15歳であったが「彼を討つために、大兵を動かし戦争をすると民業をさまたげ、民心をみだす恐れがあるから、私が行って、これを退治しましょう」と天皇に申し上げ許しを得...

  • 酒楽橋物語

    寒若寺の前から東へ通る道路に酒楽橋が架かっている。藪陰の小さな橋で目立たないが、この橋にも物語がある。昔、大の酒好きな村人がいて、今夜もどこかで酒をひっかけ鼻歌まじりの千鳥足で帰って来たところが、暗夜道に足を踏みはずして堀に落ちこんで溺死してしまった。村人は酒を楽しみ愛した好人物へのせめてもの供養にと、橋を架けかえて「酒楽橋」と名を留め、酒は楽しむべし溺れるなとの戒めともした。 また寒若寺側の「...

  • 陽泰院様物語

    鍋島直茂がまだ龍造寺隆信に仕えていた頃の事である。ある日出陣のお供をして、上飯盛の石井館に昼食のため多勢立ち寄られた。不意の来訪に石井常延を始め家臣一同、おかずの調達に当惑していた。すると常延公の姫君彦鶴(陽泰院)は、慌てた気色もなく、赤だすきもかいがいしく、庭一杯に藁を敷き、その上に塩鰯を打ち撒き、藁で覆い火をつけた。 打ち上がる火勢を一同何事かと見ているうちに、姫君は火の消えるのを待って、程...

  • 厄払い神の物語

    上飯盛区の南西に鬱蒼たる樹木のなかに、銘名が手水権現宮という祠がある。別名を「厄払い神」と言い伝えられている。 嘉永〜安政年間(1848〜1859)の物語である。 当時佐賀一帯を流行病が襲った。人々はバタバタと倒れ死んでいった。医療技術の発達していない時代のことで、苦しむ村人に有効な手当ては出来ず、死んでいくのを見ているだけであった。 村の長者も、いい知恵が浮かばず「もう神に頼るだけ」と祈祷師を頼んで、村人...

  • 鍋島安芸守茂賢柳河陣戦闘の事

    慶長5年(1600)10月20日の夜明け頃、深堀鍋島600名の兵が先鋒として八ノ院についた。先鋒隊のなかでもよりすぐりの精鋭が殉死した22名の組家中の武士たちであった。相浦三兵衛が斥候に出た。「敵がこの村の向こう側にいるので一戦は避けられない」と報告をしている間に、数千の敵に囲まれてしまい、またたくまに乱戦となった。 敵は、先鋒の切り崩しにかかった。黒い鎧の敵兵6人が、横一列に並んで槍を構えて突進してくる。味...

  • 寺家の獅子頭

    この獅子面は龍造寺家兼公から本庄村寺家一門に賜わったもので、代々末次の中尾家に保存されていた。家兼(剛忠)公が獅子は百獣の王と称せられ、その威は比類無く悪魔もこれを恐れる。誠に幸喜ある獣であると仰せられ、京都紫宸殿の棟木の余材で、雌雄各1個の獅子面を作り、かねて恩顧深い末次村の寺家に下賜せられた。よって寺家一同は感激し獅子舞を考案して、目出度い言葉を揃え国家安全子孫繁昌を祈り謹んで舞い寿ぐ事に...

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