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「物語・いわれ」「若楠校区」「地名・とおり名」は3件登録されています。

  • 八丁畷と兵営のつながり

    八丁畷と兵営のつながり(こぼれ話)  八丁畷は、兵営の南に位置し、兵営とは密接につながりがあった。第一に区域の北半分の農地が兵営の敷地となって、耕作面積が著しく減少したことは間違いない。  また、生活面でも多大の影響を受けていて、朝の起床ラッパから夜の消灯ラッパまで、風向きによっては、大きく聞こえていた。通学路も高木瀬小学校が北にあったので兵営の両側が通学路となっていた。  兵営北東の角は、大きく土...

  • 城井樋

     高木瀬町史によれば、「城井樋」という名称は、佐賀藩時代、現在のところに井樋を設置し、佐賀城へ用水を確保するために城井樋と称するに至ったというと書かれている。  現場には、その井樋が存在するが、規模も小規模で、地形的な位置などを総合検証する限りにおいて、城井樋の由来が高木瀬町史に言う「佐賀城の用水を確保したために城井樋と称するに至ったという」ことに、やや疑問が生ずる点もあり、そうしたことを証明す...

  • 八丁畷の由来

     八丁畷は、「八丁の畷」とも読める。畷とは、耕作地間の「あぜ道」のことを言い、おそらく下高木宿から三溝宿まで八丁の間隔があったことから「八丁畷」と呼ばれたのではないだろうか。  ここ八丁畷地区は、もともと高木瀬村東高木と同じ行政区だったが、第55連隊の兵営が出来たことによって自然に分断される形になっていた。  昭和36年に正式に分離して八丁畷区が誕生した。

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