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[大和町][指定文化財 佐賀市 彫刻]は4件登録されています。
大和町 指定文化財 佐賀市 彫刻
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神變社仏像 一躯
重要文化財
江熊野の氏神社である神變社は慶長5年(1600)松田茂久が鍋島直茂に従い柳川に従軍して功績をあげ凱旋した折りに彦山権現を勧請したと伝えられる。 厨子と仏像は拝殿横の観音堂に祀られている。棟札から厨子は文久元年(1861)に再建され、この厨子が内部の仏像と共に今は廃寺となっている善福寺に祀られていたことがわかる。 如意輪観音坐像は像高41センチメートル、ヒノキ材の寄木造り、室町~江戸時代の作と考えられるが、県内の木造如意輪観音坐像は作例が少なく貴重なものである。これら厨子と仏像は今は無い善福寺を語る唯一の遺品として歴史的資料として貴重である。 附の如来形立像は像高36センチメートルの一木造りで室町時代の作、菩薩形立像は像高24.5センチメートルでヒノキ材の寄木造りで江戸時代の作と考えられる。
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実相院彫刻 十二躯
重要文化財
河上山神通密寺実相院は真言宗御室派の寺院で寛治3年(1089)与止日女神社の社僧円尋(えんじん)が神宮寺を建立したのが神通密寺の始まリで与止日女神社の座主(寺社の法務を統括する管主の公称)を勤めた。 仏像は不動明王立像、愛染明王坐像、山王坐像、女神坐像、十一面観音立像、弘法大師坐像、五大明王像、薬師如来坐像で、五大明王像が5軀でほかは1軀、計12軀の木造仏像である。 不動明王立像は、像高96.3センチメートルでヒノキ材の一木造り、憤怒像であるが、おだやかな彫りは平安時代後半の特徴を表している。平安時代の不動明王像は県内でも数少なく貴重である。愛染明王坐像は像高67.8センチメートルでヒノキ材の寄木造り、室町時代の制作と推定される。山王坐像は像高31.8センチメートルでクス材の一木造りである。像底の墨書銘により、佐賀市北川副町の真言宗福満寺鎮護社として同町木原にある日枝神社の御神体として、元亀3年(1572)に龍造寺隆信母が旦那となり南里村(佐賀市川副町南里)の元貞房上人覚以に造らせた像とわかる。少弐元盛の家臣で出家した福満寺朝覚上人が、元亀元年の今山の戦いで消失した実相院のお経会の導師として勤めていた折に当寺へ遷宮したと伝えられる。制作年代・作者、造立の由来が判明する貴重な作例である。女神坐像は像高25.9 センチメートルでヒノキ材の一木造りで、与止日女神社の祭神与止日女の像と伝えられ、神社の信仰の歴史を知る上で貴重な資料である。十一面観音立像は像高158.2 センチメートルでクス材の一木造りで、背板の墨書から河上神杜の本地仏と判る像である。与止日女神社の本地仏は十一面観音で、河上神杜文書によると鎌倉時代の承元2年(1207)に金銅製十一面観音像が造られている。この像は後に失われたようで室町時代に再興されたようである。一見すると平安後期の作を思わせる復古調に造られている。近年の修復で天正21年(文禄2年・1593)に仏師心月斉が制作した事が判明した。弘法大師坐像は像高48.8センチメートルでヒノキ材の.寄木造りである。胎内および台座墨書銘から高野山住生院如来堂相応院を施主として定朝三十代を名乗る高野山小田原町の長谷川大仏師廣安が宝暦9年(1759)、63歳の時に制作した像で、同じ作者(または工房)が制作した弘法大師像の237躰目にあたり、明治12年(1879)に実相院52世良瑞の代に高野山より御請待したことが判る像である。江戸時代の本格的な仏師の作で、造られた由来から実相院へ持ち込まれた時期もはっきりしている興昧深い像である。五大明王像5躯は、像高33.5~49.0センチメートルの寄木造りの像である。5躯とも小像であるが、わりあい技法のたしかな仏師の手になるものと思われる。薬師如来坐像は像高101.3 センチメートルの寄木造りの像で江戸時代の作で、各所に平安、鎌倉時代の仏像の特徴をとりいれておリ、古仏をよく学んでいる本格的な仏師の手になるものである。
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春日山高城寺仏像 五躯
重要文化財
春日山南麓の谷間にある高城寺は臨済宗東福寺派で、本尊は釈迦牟尼仏・観世音菩薩・地蔵菩薩の3尊。文永7年(1270)円爾(えんに)(聖一国師(しょういちこくし))の法弟蔵山順空(ぞうざんじゅんくう)(円鑑禅師(えんかんぜんじ))が久池井の地頭国分忠俊の帰依を受けて創建した。北条氏一門の追善供養をすることで鎌倉幕府から保護を受け正応元年(1288)には佐嘉郡河副荘3分の1の地が施入されたが、後に没収された。その後龍造寺家、鍋島家の祈願所となる。 仏像は、釈迦如来坐像、菩薩形坐像、地蔵菩薩坐像、葦駄天像(いだてんぞう)、宝冠釈迦如来坐像の5軀で、いずれも木造である。葦駄天像はクス材の一木造り、ほかはヒノキ材の寄木造で内刳りが施されている。 釈迦如来坐像は像高106.3センチメートル、胎内、像底板には寛文7年(1667)京大仏師七郎門の修理銘が数個所に墨書されている。菩薩形坐像は像高95.1センチメートルで、頭部内がこがされており奉納物納入の可能性が考えられる。地蔵菩薩坐像は像高71.0センチメートル、胎内背面に「地蔵命」の墨書と像底板に寛文6年(1666)京大仏師の修理銘の墨書がある。以上3躯は国指定重要文化財「円鑑禅師坐像」、県指定重要文化財「高城寺文書」とともに九州の禅宗寺院のなかでも重要かつ代表的な古刹である高城寺の鎌倉~南北朝時代全盛期を物語る歴吏的資料として貴重であり、また九州における南北朝期院派仏師の新作例として高く評価される。 韋駄天像は像高30.5センチメートル、日本の禅宗寺院では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる。台座に慶長3年(1598)の墨書銘があり、製作年代の確かな像として貴重である。宝冠釈迦如来坐像は総高65.5センチメートル(宝冠~台座)、像高32.3センチメートルで、南北朝時代の院派仏師による製作と考えられる。また宝冠、台座は近世の後補であるが工芸品としても評価される。
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木造金剛力士像(仁王像)二躯
重要文化財
金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(ごほうぜんしん)(守護神)である天部の一つ。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王の名で親しまれている。 本像は桧材を用いた寄木造り、玉眼の像で、天衣をまとっており、表面には彩色を施している。頭体部と通じて内刳りを行っている。像高は阿形が256.0センチメートル、吽形が260.0センチメートルである。 一般に仁王像は風雨の影響を受けて痛みやすいが、虫食いや腐蝕・摩耗はみられず本像は比較的保存状況が良いものといえる。 実相院文書には、仁王門に関する近世初期の記事があり、本像もその頃の造'立と思われる。また、適確な寄木造りの構造や均整の取れたプロポーションは本格的な仏師の製作であることを示している。 実相院の往時の隆盛を物語る歴史資料であることに加え、県下にも少ない仁王像の作例として貴重である。