築山経塚は佐賀市大和町大字尼寺に所在する築山公園内の築山古墳上にある。周辺には肥前国庁跡、国分寺跡、国分尼寺跡が位置し、奈良時代から平安時代にかけての肥前国の中心地に造営されたことがわかる。
瓦経は長方形の粘土板に仏教経典を錐やヘラなどで書写し、素焼きしたものであり、末法の時代を迎えた平安時代後期の人々が五十六億七千万年後の弥勒菩薩出現まで経典を残すため、地中に理納したものである。
経塚は横穴式石室をもつ前方後円墳、築山古墳の後円部頂部に造営されている。瓦経及び刀子は経塚内部に築かれた直径約1メートルの石囲い内より出土した。
瓦経の大きさは、平均縦20.7センチメートル、横16.0センチメートル、厚1.0センチメートルの素焼きの粘土板に.界線・罫線をひき、表裏二面に経典を書写する。
書写された経典は、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)174枚、無量義経(むりょうぎきょう)20枚、観普賢経(かんふげんきょう)18枚、阿弥陀経(あみだきょう)6枚、般若心経(はんにゃしんぎょう)2枚、法華懺法(ほつけせんぼう)3枚、さらに、仏画を刻んだ絵瓦が4枚、無地の瓦が2枚である。
妙法蓮華経巻第一の奥書に相当する瓦経および法華懺法奥書に、天養元年(1144)の銘、ならびに造営に関係した勧進僧・願主・筆僧らの人名も刻まれているものが確認されている。
本経塚出土遺物は、平安末期の人々の信仰の深さや思想のあり方を物語る全国でも極めて貴重な遺物である。これまで全国的には断片的な発見が多く、築山経塚のように瓦経の埋納状況が理解できるのば極めて少な.い。