名尾の手漉き和紙は元禄年間(1688~1704)、納富由助(のうどみよしすけ)が耕地が少なく農民の生活が苦しいのを憂い、筑後溝口村から習い伝えたのに始まるとされ、旧唐津藩領における唐津紙をはじめ、大和町名尾のほか神埼市三谷、小城市岩松、嬉野市塩田町鍋野・谷所等で続けられていた。その起源は江戸時代にまでさかのぼることができるが、明治維新後は次第に衰微をたどり、明治中期には筑後方面からも技術を導入して技術革新も図られたが、洋紙の普及に伴い次第に需要も減少し廃絶したところが多い。
製作工程は、楮(こうぞ)の束を大釜で蒸し、その樹皮をはぎ取った後、ソーダ灰を加えて煮つめ、流れ川に晒す。川晒しの間、表皮の黒皮や残り屑を手作業で取り除く。この後、水分をジャッキで脱水し、繊維を分解させるため叩き棒で打ち伸ばす。(現在では打伸器を導入。)この楮に、黄連(おうれん)(キンポウゲ科)と水}を加えてスキブネで一枚一枚漉きあげる。
名尾紙は紙の地合がよくしまり、けば立ちが生じにくい強靭な楮紙として重宝がられている。