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[富士町][ 河川・水路]は3件登録されています。
富士町 河川・水路
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北山湖
昭和32年(1957)3月完成した北山湖は、昭和25年(1950)12月着工し、7年余の歳月を費やし、セメント3万6000t、鋼材600t、木材3万石、延人員84万人が就労し、堰堤の高さ57.3m、長さ174m、周囲40km、湖水面積200.2ha、2200万立法m(2200万t)の水を貯え、総工事費18億5000万円の巨費を投じ、佐賀平野1万1000haの水田を潤す農林水産省主管の灌漑用水ダムである。 このダムは、農業水利のほか、電源開発にも貢献し、最大出力2万7500kwの電力を生み出している。 標高400mの高地に在り、夏は涼しく、湖中は鮒、鯉、鱒、わかさぎ、はや等の宝庫で、特にヘラ鮒は、日本有数の生息地として有名である。 湖畔には、国民宿舎湖畔荘、北山キャンプ場、北山少年自然の家、中村学園大学研修施設、二一世紀県民の森等の諸施設があり、年間60万人を超える観光客に利用されている。 なお、4km東、国道263号線向合峠附近に「ルベール(緑)牧場どんぐり村」というフランス語の名称を附したレジャー施設があり、毎年50万人の行楽客を楽しませている。北山湖の湖面には遊覧船「すずかぜ」号が就航し、手こぎボート、足こぎボート等も浮遊し、湖上から眺める北山湖周辺の景色は、四季折々の移り変りと共に美観を呈している。
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幻の西光寺川
現在の通称中の島(松瀬)は以前「中州」であった。当然大雨の度に濁流と砂に荒らされていた。上流に向かって右手が嘉瀬川、左手を西光寺川と称していた。西光寺川より左手を内野といい右手は松瀬となっていた。松瀬は大和町である。西光寺川が郡境になっていた。 その西光寺川を埋めて小さな水路にし、嘉瀬川のほうを大きく川巾を広げて本流一本にすることによって内野と松瀬は地続きになった。おかげで山間部では貴重な広い平地が出来あがった(昭和52〜3年頃)。そこに出来たのが"ユートピア″中の島団地である。佐賀駅まで車で18分、高速道路まで8分。まさに最高のベッドタウンである。その松瀬が富士町に編入され内野区と合併されたのが平成7年(1995)である。だが西光寺川は今や幻となった。
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山神取水堰
嘉瀬川支川初瀬川に築造されている農業用取水堰で、地元では「岩井手」と呼ばれている。天端から落ちる流れは、自然石に分けられて白濁し、あたかも天然の滝のようなその景観は、樹木に囲まれた渓流の中で見事に調和し、その清涼感に一服の安らぎを覚える。 上平地区では元来初瀬川支川赤田川から取水していたが、渇水期には水量が不足していたため、農民が費用を出し合って築造したといわれている。 堰体は野石乱積みで、堰長約13.5m、堰高約3.0mの全幅越流型である。天端の幅は、約2.6mで、下流側に約24㎝傾斜している。横断方向にも水平ではなく、左岸側に約5cm傾斜している。流れを左岸に寄せてゴミは堰を越流させ、水だけを用水路に取り組むという優れた工法がとられている。度々の出水に対して決壊、落石もなく、修築の記録もないことから堅固な石積み工法がとられているものと思われる。