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[富士町][ 民俗芸能]は7件登録されています。
富士町 民俗芸能
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市川天衝舞浮立の流れ
① 浮立奉納日 ミソギ 天衝舞人と棒使いは神社横の川で、早朝ミソギを行い境内で足ならしと称する準備運動をする。 天衝受取り 天衝舞人の衣装の着付けは舞人の家で行うのでテースマエの家にテンツキを受取に行く。 浮立ぶんみゃー(浮立振舞)の準備 早朝から赤飯を炊き、浮立振舞の準備をする。とくにテースマエの古賀では数日前から材料を揃えたりして本膳つくりの準備をする。 打ち出し 打ち出しは午後1時ごろで、打ち出し時刻の30分ほど前にスブソの門に浮立の出演者が集まる。全員が揃えば道行きの笛が吹かれ太鼓がこれに合わせて叩かれる。ひとしきり道行きの囃子がはやされ、浮立の行列が整えられると、囃子がとまり、出演者全員に出立ちの祝い酒が振る舞われる。再び道行きがはやされマクリとなり、ホンバンが謡われる。 囃子は道行きとなり、諏訪神社へ向けてスブソの門を出発する。行列の順序は次の通り。 旗-高張提灯-バレン-カサボコ-棒ツキャー-ホンバンウチャー-笛-大太鼓-パンパコ-テンツクミャー-鉦打ち-モリャーシ打ち-子どもの鉦打ち-銭太鼓-扇子舞-ニワカ連中と続く。 行列が諏訪神社の参道に近づくと、参道の下を流れる川の手洗い口に待機していたテースマエ古賀の古老が、長い真竹の笹竹の先につけた円形のハライヌサ(祓幣)を、清流の水にひたしてふりかけて行列の人々を祓い清める。これをシェートリという。行列の先頭が鳥居に近づくと笛は鳥居がかりにかわり、一行は拝殿前の広場を右回りに3回まわって円陣をつくる。この間、バレン、カサボコなどの飾り物は円陣の中央で3回まわる。モリャーシは円陣のなかで左右3人ずつ向いあって所作を続け、各役は定位置につき、笛の合図で浮立はとまる。浮立は一時休止となり、棒ツキャー、やっこ踊り、にわかとそれぞれの演技がされる。 ② 諏訪神社での奉納 にわかが終われば、笛頭の道行きの吹きだしにより、休息していた浮立の出演者は一斉に立ち上がり演技に入る。囃子は神の前にかわり、天衝舞人は太鼓のバチを持って左手を前、右手を後ろにして小躍りしながら右回り3回の後、拝殿正面に向かい3歩前進をする。天衝舞人が太鼓を離れているときは副太鼓打ちが大太鼓を打ち続ける。天衝舞人は拝殿正面に端座をし、祓えの所作をして3度拝礼をし拍手を1度行う。拝礼を終えて立ち上がり、太鼓を打つ。囃子はマクリとなり、舞人は太鼓を離れて小躍りしながら3回まわる。その間、テンツキの先端が地にすれすれになるまで振り回しながら舞う。2回繰り返して太鼓に近づき、副太鼓打ちが太鼓を離れると、かんぱつを入れず舞人が躍りかかるようにして太鼓を10打ばかり連打をし、そのあと早打ちとなり、エーイと掛け声をかけての一バチ高く打つとホンバンとなる。 君万才と祈るなる 神に歩みを運ぶなり 神に歩みを運ぶなり(弓八幡の小謡) この間、鉦打ちは腰をおろして待機をする。 ホンバンが終わりかけると、笛頭が笛を吹き太鼓もこれにあわせて打ち、鉦打ちも立ち上がりモリャーシ打ちなど他の役もこれにあわせて囃子をする。舞人は再び、太鼓を離れてさきの所作を同じようにくり返し、舞人の最後の太鼓でホンバンがはじまる。 風もうそむく寅の刻 神の告げをも待ちてみん 神の告げをも待ちてみん (老松のワキの待謡) 再び、同じ所作の繰り返しで3回日のマクリが行われる。 千代の陰ふる小松原 鶴亀遊ぶめでたさよ 鶴亀遊ぶめでたさよ 以上で諏訪神社への奉納が終わる。 ○弁財天奉納浮立 天山の南中腹に祀られている弁財天への奉納は、遠方であることから諏訪神社の境内から行われる。バレン、高張提灯、カサボコ等の飾り物が行列をつくり、道行きの囃子にあわせて円陣のなかを3回右まわりにまわって再び元の位置にもどる。これで弁財天に到着したことになり浮立が奉納される。 ○寄せ神さん奉納浮立 拝殿左側に各所より寄せられた石祠が祀られている。寄せ神への奉納で、弁財天奉納浮立と同じように飾り物が境内をまわり道行をして浮立が奉納される。寄せ神への奉納で、諏訪神社境内でのすべての奉納が終わり、浮立の一行は西福寺へと向かう。 ③ 西福寺奉納浮立 浮立の行列は、下道行の囃子にあわせて進み、先頭が山門にさしかかると、御神燈をのぞく飾り物と浮立行列が境内中央を3回まわり定位置につく。棒ツキヤー、奴おどりと行われ、ついで、浮立が行われる。諏訪神社とほぼ同じであるが、神の前の天衝舞人の拝礼は拍手をしないで三拝をする。また、マクリは寺マクリとなる。 ○若宮さん奉納浮立 西福寺裏山の若宮大明神への奉納浮立で境内を3回まわって道行きをする。天衝舞人はテンツキを被らないで若宮山の方向を向いて奉納する。 以上で西福寺境内での浮立は終わったことになるが、その年のテースマエ古賀によりその古賀に祀ってある神仏に浮立を奉納することもある。 ④ スブソでの打ち止め 西福寺での奉納が終われば浮立の一行は道行きをしながら。スブソに帰る。スブソの門で一マクリの浮立を行う。祝いのホンバンは ゆるす故にやなかなか弥増に運ぶ御宝の 千秋万才の 千箱の玉を奉る(難波) ホンバン方はスブソの座敷で、ホンバン三番をうたって祝い納めの区切りとする。
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市川天衝舞浮立奉納後の行事
浮立ブンミャー(浮立振舞) テースマエ古賀では浮立参加者を招いての浮立振舞をする。スブソの家は天衝舞人だけを接待する慣例であったが、今は他の出演者もあわせて招く。他の家では10人から14、5人の客を分担して引き受ける。午後8時から始められ客は座敷にしつらえられた本膳につく。ホンバン三番がうたわれ宴がはじまる。本膳の振舞は午後10時ごろに終わり、その後、回り祝いの客が見える。回り祝いというのは、出演者や他の集落からの客などがテースマエの家々を回り歩いて飲むことである。 テンツキおくり 浮立奉納の翌日、テースマエ古賀の代表がスブソの家からテンツキを舞人の家に送り届ける。舞人にねぎらいのことばをかけ、酒一升に鯛二尾と金一封を渡す。舞人の家では、送り人たちを接待する。 膳ざりゃー 浮立の翌日、スブソにテースマエの人が集まり、浮立の後始末と諸費の勘定をする。勘定がすんだところで勘定祝いの酒となり、浮立行事がすべて終わったことになる。
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市川天衝舞浮立の流れ 付随芸能
① 棒ツキャー 棒ツキャーの頭領が神前に進み出て、肩にかたげている棒をおろし、両膝の上で横にして膝を少しく折りながら一礼して元の場所にもどる。この所作をシャーバリャーといっている。演舞にさきだっての災祓いであろう。 現在、浮立奉納のおりに行われている手数は次のとおりである。 花見杖、腰車、杖落とし、こじりおしつけ、とうがさなり、金つき、両棒はずし、七斬り、こぐちきり、三人三番など。 ② 奴おどり .棒ツキャーが終わったあとに行われる。頭取の「奴さん 奴さん」の呼びかけに応じて、鉦打ちの青年が5、6人神前に向かって一列に並ぶ。歌い手は決まってないが、上手な人が前にでて歌いかけるとそれにあわせて簡単な所作で踊る。踊り手は鉦打ちの青年に限らず誰がでてもよいことになっている。 多く歌われる歌詞は次のとおりである。 ・咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る。 ・五尺手拭いしぼりに染めて 落とすふりして主にやる。 ・坂は照るてる鈴鹿はくもる あいの土山雨となる。 ・山じゃ一番名取りの正女 正女おらねば暮の暗 ・坊主山道やぶれた衣 肩にかからで気にかかる。 ③ にわか 奴おどりが終わると、頭取の「にわか にわか」の呼び出しでにわか連中が、中央に出て、にわかを演じる。
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杉山浮立
龍造寺隆信が九州の霊山彦山権現を攻めたので、その報いで肥前の国は五穀の凶作が続いていた。それを苦慮した杉山の玉秀院の住職が、ムラの中を流れる延命川で、身を清め21日間祈願をした。そして彦山に毎年5名の代表者を送り、旧暦10月15日に彦山の見える高台で浮立を舞えとのお告げをうけて始まったとされている。 別名「七囃子浮立」ともいう。それは、笛、鉦、太鼓、モリャーシ、扇子舞、ささら、銭太鼓の7種類で囃されることから名付けられた。 現在は10月第3土曜日に行われるが、もとは10月15日であった。 (1) 組織 山口、中の谷、下の谷、平の四古賀が交代でテースマエを勤める。 (2) 次第 宿の縁側はあけはなたれ、神酒と肴(チクワ、イモンコ、ジャガイモ等)が並べられ、浮立参加者に神酒が振る舞われる。全員揃うと、次の通り行列をつくる。 旗(杉山浮立)-提灯-棒使い-笛-待唄-大太鼓-鉦打ち-モリャーシ-扇子踊りである。 道行きの囃子で出発し白石神社に向かう。しばらく進むと囃子はやみ、神社近くで再び奏し、鳥居近くで鳥居がかりとなる。鳥居の左側から神水にひたした笹竹がかざされる。境内にはいると時計まわりに一巡してそれぞれの定位置につく。 まず、棒使いの奉納がされ、終わって浮立の奉納となる。 奉納浮立は神の前とマクイで構成されている。神の前での天衝舞人の足使いや拝礼に特徴がある。神の前の拝礼は、懐紙を前に置き、その上に太鼓のバチを交差させて置き深々と拝礼を3回行う。 マクイはテンツキを地面すれすれに触れるように振り回すなど勇壮な所作があり、待唄(小謡)が歌われる。 以上で一通りの奉納が終わり、拝殿でお神酒が振る舞われる。 ついで、山の神への奉納が白石神社境内で行われる。 棒術は2番で、浮立も同じように行われる。 ついで、八坂神社での奉納となる。 神社での奉納がすべて終われば、農業倉庫前で行われる。テンツキは被らないが他の内容はすべて同じである。 宿で最後の打ち止めの浮立が2回行われる。 以上ですべて終わりであるが祭りに合わせて帰ってきた人たちが飛び入りで鉦や太鼓を打つ。 (3) 棒術 境内にはいると浮立にさきだち、まず、棒が奉納される。無双真の流で寛文10年(1670)ころ、多久邑より伝授され、浮立行事のなかで行われるようになった。棒術の基本は、まず一人が先にでてきて、拝殿の前まで進み拝礼をして向かい合い型にはいる。通常は4番くらいをする。式台式、式台起こし、初龍、なしくづし、さしや、かさのした、腰車、すねうち、ふしうち、太刀、柴引きなど。 初龍となしくづしは基本といわれている。
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古湯浮立
由来は明らかでないが、一時、後継者難で昭和29年を最後に途絶えていたが、昭和56年に復活をした。現在は10月第1日曜日に古湯と貝野が合同で奉納する。 (1) 次第 区長宅の前に浮立出演者が全員集まり行列を旗(古湯鉦浮立保存会)-御神灯(2名)-鉦(古湯連中10名)-笛-大太鼓(貝野連中10名)-モリャーシ-銭太鼓-扇子舞の順で、道行きを奏しながら淀姫神社にむけて出発をする。囃子は到着まで続けるのではなく、出発と町の中心部、神社近くで奏する。 一連の浮立を一庭という。一庭は、道行、鳥居かかり、ヤホウハイ(八方拜)、マクリ、オマチン返し、道行という構成である。 道行は移動のときに囃す曲で、鳥居かかりは鳥居くぐり神社境内にはいるときに囃す曲である。境内では拝殿前から鳥居までに鉦打ちが縦に左右二列に並び、古湯連中と貝野連中が左座と東座に別れる。銭太鼓、扇子舞、モリヤーシ、大太鼓は鳥居の前に位置する。ヤホウハイ、マクリ、オマチン返しは境内で囃される。 淀姫神社と諏訪神社での奉納 初め淀姫神社への奉納では、左座が古湯連中、東座が貝野連中が位置し一庭打つ。次に右廻りに一巡して貝野連中が左座古湯連中が東座につき、諏訪神社に一庭奉納する。 貝野地区での奉納 公民館前で、三養基郡中原町の綾部八幡神社と貝野の裏山に祭祀されている綾部八幡神社の分霊あんやさんに奉納する。屋敷で、七郎社へ奉納をし、次に龍王・地王・蔵王へ奉納し、ついで貝野区長宅で奉納し、午前に予定されている奉納が終了し昼食となる。 古湯地区での奉納 午後からの奉納は、古湯山崎の富士町建設業組合前の駐車場に集合し、次の個所で奉納する。 松森稲荷神社、忠魂碑、富士小学校、鶴霊泉薬師尊、権現社、稲荷社、英竜温泉薬師尊、古湯区長宅(現在は古湯公民館)で一庭打って浮立行事がすべて終了する。
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須田浮立
明治6年5月から100日間も雨が降らず大干ばつとなり田植えもできなかった。南山村市川の天衝舞浮立を雨乞い浮立として奉納することとなり、野中勘兵衛ほか7名を師匠として招き浮立の習得をした。小高い山に登り火を焚き雨乞いの浮立をした。現在は10月第3日曜日に行われている。もとは10月17日であった。 (1) 組織 須田、御殿、矢櫃の3つの古賀に分かれている。 (2) 次 第 11時より須田公民館を打ち出す。バレン(まといのような形をしており、頂に須田浮立と書かれている)-鉦(9名)-扇-笛-大太鼓-鉦(9名)-銭太鼓の順で行列をつくり、集落の一番上にある権現社に向けて出発する。囃子は道行きを奏しながら進む。権現社への道はたいへん狭く行きにくいので鳥居そばで、鳥居がかりを奏し、ついで庭がため、マクイを奉納する。 権現社の奉納が終われば次の場所で奉納する。 ①祐徳神社 民家の庭先より祐徳神社へ奉納する。大太鼓を神社の方に向けて行う。 ②白鬚神社、天満宮、九郎神社、春日神社へ浮立を奉納し、区長宅への奉納が終われば公民館で打ち納めを行いすべて終了する。
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鎌原浮立
伝承の経緯など明らかでないが、昭和22、3年ころ、浮立をやめたところ、24年の水害で神社が流れ大きな被害がでたということですぐに再開された。 「市川の朝浮立に鎌原の夕浮立」「鎌原の三本鉾に市川の六本鉾」などの言い伝えがあった。 現在は10月第1土曜日に行われる。もとは10月15日であった。 (1) 組 織 つづら谷、上古賀、下古賀、村古賀の4つの古賀に分かれており、交代でテースマエをつとめる。 (2) 次 第 浮立に出演する者は子供まで必ずスブソの家でお神酒をいただく。打ち出しは14時ころ、全員が揃うと、出立ち浮立となり庭笛が吹かれる。 塩振り-かさぼこ-大太鼓-笛-モリャーシ-ささら-扇子-提灯の順で、道行きの囃子で鎌王神社へ向かう。神水をかけられ、鳥居がかりの囃子で境内にはいり時計方向に3回まわって定位置につく。庭笛(ドッカンカン)となり、神の前、スッカンカン、マクリと奏される。神の前の拝礼は、懐紙を前に置きその上にバチをハの字型に置く。ご幣のヌサをとりちぎるようにして前に投げる。そして深々と三礼をする。神の前の終わりに、太鼓のふちをバチでなでるようにする、太鼓さすりという所作をする。 スッカンカンでは、テンツキを地面すれすれに振りまわし、回し終わるとバチを地に立て、エーイと掛け声をかける。小謡が始まり謡の繰り返しの所で囃子がはいる。3回繰り返す。鎌王神社での奉納が終われば、彦岳権現への奉納がその場でなされる。 その後、生産組合長宅で弁財天への奉納がされる。現地まで行くのは遠いので、弁財天が鎮座する山の方に大太鼓を向けて行う。 次に正方寺での奉納、この後、区長、亭主と奉納して終わりとなる。