鍛冶屋の天満宮

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鍛冶屋の天満宮

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■所在地佐賀市東与賀町
■登録ID1105

鍛冶屋の北部に鍛冶屋天神を祀る氏神さんと、近くに稲荷大明神があり、その御堂の後方には巨大な椋の大樹が亭々とそびえ立っている。樹齢も300年近くはあると思われ、佐賀県の名木・古木の指定を受けた住吉神社の藤の木や下飯盛八幡の大楠にも匹敵するようである。
鍛冶屋の天満宮は、昔は現在の馬場氏住宅の東部にあったらしく、明治40年の「宮寄せ」の法律によって、佐賀市本庄町鹿の子天満宮へ寄せ宮を余儀なくさせられ、当時の鳥居及び山犬等も移転してしまった。鹿の子天満宮を見ると、現在二重の大鳥居があるがその一対は、この鍛冶屋より移転寄進のものである。このことは東与賀の古地図でも証明されるところである。したがって鍛冶屋の天満宮には、鳥居や社殿もなく、小高い地所に二坪の御堂があり、菅公(菅原道真)の木像を祀ってある。製作者も年代も不明。
この御堂の側に、稲荷大明神の石碑がある。これは安政2年(1855)の建立である。それと並んで南無阿弥陀仏碑があるが、宝暦4年(1754)のものである。その他万霊塔安永7年(1778)明治11年再建施主は、当村辻小路9人とある。

出典:東与賀町史P1161

【天満宮・稲荷大明神】

【祭神】菅原道真公・稲荷大明神
【社殿】2坪 敷地−142.5㎡
【境内地】小高い台地にあって、お堂の後方に椋の大木が聳(そび)え立っている。住吉神社の藤の木や下飯盛八幡神社の大楠にも匹敵する名木である。
【由緒】
昔は現在地馬場氏の住宅東部にあったものを、明治40年の「宮寄せ」の法令に依り、佐賀市本庄町鹿の子天満宮へ寄せ宮をよぎなくせられた。現在鹿の子天満宮に二つの鳥居があるが、その南側のは、鍛冶屋天満宮より移転されたものとの伝承がある。
本堂には菅公の木像を祀ってあるが、相当古いようだが、その製作年代は不明である。
お堂の側には、南無阿弥陀仏碑や稲荷大明神・万霊塔等が合祀されている。

出典:東与賀町史p1112

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