諸富町の漁業

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諸富町の漁業

■所在地佐賀市諸富町
■登録ID1568

有明海における干拓陸化のために、沿岸漁村は3〜4kmの奥にあり、大半が農業を兼ね、更にその背後に純農家を控えた集落を形成しているのが普通である。
しかし、諸富町は筑後川の河口にある地域で、地先(干潟)をもたず、沖合漁業に徹し、アミリュウ(網漁撈)が古くから行なわれて、盛んであった。1か月の間には一潮に十日間出漁し、次の潮にさらに十日間出漁するという操業の型で、兼業は考えられない。勿論、耕地もなくて農業に従事できない。
それだけに、網漁業に賭けるものがあり、中でもゲンシキ網漁の歴史は古く、技術的にも秀れているのは、県外・県内の町村でも、既に認めるところである。
明治21年の統計に、寺井津(搦)161戸の漁戸があり、大正5年の水産試験場報告でも搦地区180戸の中で、160戸(89%)が漁業に従事し、部落ぐるみの漁浦である。この傾向は、今日もあまり変りがない。
旧佐賀郡15の漁村の中で、漁戸の最も多いのが寺井津(搦地区)である。(『佐賀市史』)
古い歌に、次のようなものがある。
♪カラミ荒籠の崎ぁ 船が百艘着きぁ 帆柱も百本 止まる鴉も百羽っぱ(吉田よね氏提供)

出典:諸富町史P.1070